菅茶山顕彰会
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 河相君推
 宝暦7年(1757)備中国井原村 旗本池田修理家の代官猪原幸右衛門の次男として生まれ、西中条村河相重義の娘通知の夫として入り婿になる。文政元年(1818)62歳で没する。名は保之、字は君推、通称を周次(冶)郎、松風と号した。
河相家の先祖は出雲の佐々木氏で、備中指月郡河合村に移住、その15世に至り、中条村に移住してきた。
 
土居河相家墓地 君推墓
新池の西側に土居河相家の墓地がある。
君推の次世代で絶家となり、子孫の墓は不明となっている。
君推の碑文は茶山の撰書である。
院号の「英」字が欠画となっている。
 院号「成鑑院慈航智居士」
墓誌には、君推の和歌が刻まれている。
 にほひくる かぜを枝折に 和け入りてとはゝやうめの 花能やま佐登
         友人 菅晋帥識