菅茶山顕彰会
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 菅茶山の墓

菅茶山は文政十年(1827)に80歳で亡くなり、黄葉山のふもとの網付谷に葬られました。

墓地には本人をはじめ親族や門人が祀られており、墓26基と招魂碑2基があります。菅茶山の墓は瓦葺の屋舎の中に墳墓と墓碑があります。その墓碑は親交の深かった頼杏坪(きょうへい)が自ら撰して書いています。

菅茶山の墓は昭和15(1940年)223日に広島県史跡に指定されています。
菅茶山顕彰会は、茶山命日の813日に「墓参の集い」を行っております。

墓碑は親交の深かった頼杏坪(きょうへい)が自ら撰して書いています。

頼杏坪は頼三兄弟の末弟で、広島藩儒者、茶山とは親しく交際しました。

文面は、茶山の出自に始まり、塾名、号の由来、家族・後継者のこと、さらに塾の経営や漢詩人としての全国的な交友についてなど、その事跡がよくまとめられています。


 周辺地図

* 菅家墓地の配置図(リンク)
http://chazan.click/kanchazankenshoukai/__HPB_Recycled/%E8%8C%B6%E5%B1%B1%E5%A2%93%E5%9C%B0%E9%85%8D%E7%BD%AE%E5%9B%B3.pdf