顕彰会会報寄稿

菅茶山顕彰会会報 第27号
菅茶山辞世の詩歌に想う 
(巻頭言)
 菅茶山顕彰会会長 鵜野 謙二

平成29年(2017年)は菅茶山没後190年の節目の年に当る。命日は8月13日である。
 文政十年(1827年)、八十歳を迎えた茶山は多くの人々から祝賀を受けたが、5月に入り病(胃癌)に臥した。茶山には三人の妹と二人の弟がいたが、三女好(よし)(まつ、みつ)以外は皆他界していた。妹好と姪の敬の二人が茶山の最期を看取った。

 敬(きょう)(次女チヨの子)は萬年(次男汝梗(じょべん)の子)と結婚、萬年に病気で先立たれ、廉塾の都講になった北条霞亭と再婚したが、霞亭も若くして歿している。殆どの子が早世し、当時残っていたのは、萬年の子、菅三のみであった。茶山の死後、菅三が菅自牧齋と称し、廉塾を継いだ。

 死期を悟った茶山は、好と敬に対し「臨終訣妹姪」と題する別れの漢詩に和歌二首を添え、現身故に叶わぬ同胞への参商之隔の想いを自らの筆に託している。

「うき世とハ けふ(今日)をかき(限)りにへた(隔)つれと 人のなさけは わすれかねつも」
臨終(りんじゅう)訣(けつ)妹(まい)姪(てつ)   (遺稿 巻七所収)

身殲固信百無知 身殲(ほろ)ぶれば固(もと)より信ず百(すべ)て知る無きを 
那有浮生一念遺 那(な)んぞ浮生(ふせい)一念の遺(のこ)る有らんや
目下除非存妹姪 目下 除(た)非(だ) 妹姪を存す
奈何歡笑永参差 奈何(いかん)せん歡笑 永く参差(しんし)するを

「身なけれは こころもなきハ かねてしれと たたはらからの 名残をそおもふ」
(「菅茶山の世界―黄葉夕陽文庫」から)

 この詩歌を鑑賞しながら、菅茶山八十年の遺芳・遺徳、豊かな感性、人物像を改めて偲ぶとともに、我がふるさとの巨峰、茶山が国内外へ託した不滅のメッセージを末永く次世代へ伝承すべく務めたい。
 
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