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 茶山ゆかりの地訪問     菅茶山顕彰会が行っている研修会から 

菅茶山と河相君推
 
―象山献燈、幼少期の遊び場―
                             
 作者 武田 武美 (茶山ゆかりの地訪問チーム座長
 
 福山市神辺町西中条山田は昭和の初め、家の数僅かに二十数軒ほどの小さな部落であった。
河相君推の君推(くんすい)は名は保之(やすゆき)である。君推の父は上下陣屋の役人をしていた。

 河相家が酒造業を始めたのも陣屋の役人の役得であっただろう。
河相家は江戸時代、中条村の誰よりも先に酒造業を始め利益を得て、所謂、分限者となった。田も十町歩以上二十町歩に近い程、持っていたらしい。又、菅茶山と親戚筋にあたり、贔屓にされた。

 菅茶山先生は山に例えれば富士山のような存在です。私共もそれに比較すると神辺沖の片山ぐらいの小山でしょうか?
私が生まれた家は山田の金比羅様の近くで小学生の時分は金比羅様とその隣合わせの地神様でよく遊んでいたものです。その遊びは「草履隠し」と言って自分の履いている片方の藁草履を金比羅様の火袋とか笠の上とか、あちこちに隠すのです。

 「草履隠し」は最初は皆が同時に片方の草履をどこかに隠します。そしてジャンケンをして負けた者が鬼になって隠した草履を探します。そして、最初に見つけた草履を「これは誰々ちゃんの草履じゃ」と言えば今度はその人が鬼になって遊び続けます。

 山田の金比羅様の向かって左側面には「山田講中」と刻してありますが、殆どの資金は河相家が出したものと思われます。正面には茶山先生の筆になる象山献燈なる大きな文字が刻してあります。
四国の金比羅様が祀られている山は象が寝ているような形をしているので象山献燈と云えば「金比羅様に燈明をさしあげる」と云う意味になるのです。この文字は菅茶山先生がお書きになった文字の中でも一番大きいと言われております。其の大きな文字を椽筆(てんぴつ)と言います。椽=樽。「樽木で作ったような大きな筆で書いた書」と云う意味です。

 菅茶山先生は自宅があまり大きくなかった故もあり天下の有名人が訪ねてこられた時には河相君推の家にお連れしてご馳走になり、詩会を催していたことが多かったようです。又、河相君推の邸宅の北には三個の池があり、その中の一つの池には蒪菜(じゅんさい)もあり、ご馳走に加えられていたようです。

 金比羅様の金比羅は南洋の島の古い人々が使っていたクンピーラからきています。クンピーラは鰐のことです。昔、南洋の島の人々が小舟に乗って釣りに出掛けたが帰る水路が分からなくて困っていた時、鰐が出てきて帰る水路を先だって泳ぎ、死を免れたので、鰐を神様と崇めたので、日本人もそれに倣って鰐を崇めクンピーラがコンピラになり、金比羅様となりました

参考:河相邸跡 
松風館十勝碑林
   
 金比羅様と地神様   象山献燈 
 松風館十勝碑林