廉塾規約                           もどる      


一 読書する人が各々行儀を正すことは勿論のこと、日々読み聞いたことの根本がすべてそこに通ずる。よって塾を開くにあたって作法など、別に取り決めなかった。今月一つ、今年一つというふうに規則を立ててきたが、塾生も段々に入れ替わり、このことを知らない者も有るようだから、このたび、それをひとつに書き上げることにしたので、皆々よく見てこれを守ること。

一 素読する者は日々欠かさぬようにし、講席に出られない時は、その理由を申し出ること。

一 受け習いやおさらい等静かにして文字を覚えるようにしなさい。みだりに大声など出しては他の人の妨げにもなるから平生から書物や机を袴で跨がぬこと。

一 講釈・輪講の前にはその書をよく見、講釈後に聞き漏らした所は尋ねること。講席で互いに笑ったり、睨んだりしないこと。中座や居眠りをしないように。

一 詩文会は月に六回あるから、それ以外妄りに作らず、読書を第一にしなさい。詩は読書せずには作ることはできず、六回の詩文会には欠かさぬように作ること。

一 塾の書物を勝手に見てはならず、見たいときは主人に申し出ること。

一 他人の席へ行き無駄話をせず、用事があれば講席の後か、三度の食事の時に、一所に集うからその時に済ませること。尤も、素読、質疑又はやむを得ない用事があるときは、済み次第早く帰ること。万一、長居する人は退席し、新たに塾に戻る時は告げること。

一 同席にいる人は、起居(立ったり座ったり)の時は必ず礼儀をただし挨拶を丁寧にすること、互いに好ましくない言葉を使わないこと。

一 小うた浄瑠璃は小声でも歌わぬよう、詩も午前中には吟じないこと。

一 来客のある時には古い塾生は勿論、誰であろうと平生から静かにすること。

一 読書に飽きたといって、立ち騒いだり相撲を取らないこと。

一 後輩や年若い者を年長者がいたわり、行儀を教え、仮にもいじめたりひやかしたりしないこと。

一 年長者やよく学を修めた者で、周囲が遠慮するような人は、自分より心得があるならば、あまり調子に乗らないこと。

一 人から無理を言われたり、また不作法を受けた時は、相手をせず、大抵は我慢すること。その我慢できないことをそのまま主人まで申し出ること、およそは戯れが過ぎてのことで礼(敬いの態度)がなければ争いとなる。

一 毎日掃除することは勿論、十五、三十日に大掃除をし、その時に各々書物・筆・硯・傘・笠・下駄・草履を整理すること。こちら(塾)の道具を償うこと。その人がわからない時には、講席中、塾中でよく計らうこと。

一 本箱・挟箱で自分の席を取り囲み、陰に隠れないこと。

一 (外部の)用事は使用人がするから妄りに門を出ないこと。用があって外出するときは必ず主人へ申し出ること。女中に告げて出ることは良くないことである。人の見送りは門前に限り、もし、遠方から来て再び来訪しないような人の場合はこの限りではないが、それでも主人に相談すること。

一 槐寮から拍子木の音が聞こえたときは、誰であろうと返事をすること。

一 火事盗賊急病人などの時は例外だが、平生歩く時に走り回らないこと。

一 火の用心を第一とし、就寝時の行灯は古塾に一つ、南寮に一つ置いてその他は消すこと。火鉢・煙草盆の火は灰に埋め椽側へ出すこと。火鉢を夜着へ忍ばさないこと。

一 主人が留守のときはとりわけ火事盗人に用心し、年長の者は特に後輩へも申し渡すこと。

一 内々で酒肴の類など飲食物は取り扱わないこと。

一 食事のとき飯汁などを落としたり隠したりしないこと。礼とは飲食より始まるといい、これを第一としてつつしむこと。

一 塾生の中で金の貸し借りをしないこと。もし、やむを得ず入り用の時は主人へ申し出ればどのようにでもなる。

一 金銀札銀など携帯しないこと。貯えとする人は主人に預けること。


雑司の事

一 雑司当番の人は終日応対の間に詰めていること。

一 表門は早朝に開けて晩六ツ時に閉じ、裏道に次いで何よりも垣根の戸締りを第一とし、木戸には鍵をかけかぶせ箱をすること、錠前と鍵をこわしたりなくしたりしないこと。

一 掃除は座敷、庭ならびに門前まで隈無くすること。

一 食事の給仕は静かにし飯汁をこぼさないように心がけ、食後にはすべて片づけ、飯台には水をかけてしっかり汚れを落とすこと。

一 客や遣いのあるときは取次ぎ、対応、茶、煙草盆等のことからすべてその場相当の世話をすること。

一 買い物等で町へ出るときには、人々を取り集め一日一度限りにすること。尤も飲食に関係の無い物は決して持ち込まないこと。

一 風呂は順番が遅れたりつかえたりしないよう、晩に早く済ますこと。

一 課業録(学科記録)の世話は年の若いがすることになっているが、人のいないときには雑司当番がすること。

一 三塾にも小雑司を置き、その日一日の世話をすること。古塾は朝水鉢、南寮は橋の灯篭、敬寮は町並みの門を開閉するというようなことがいろいろある。病人の世話は、これまで大雑司の受け持ちだが、何かと行き届かないので、以後は小雑司がすべて気を配ること。

一 夏楚(鞭をもって指導する人)は、食座、講義の席、爐火、燈油、草履、のことについて不作法のことがあれば、厳しく教え、そのほかにも気を付けて教え注意すること。

一 凡その不行儀のことは何であっても気を付けること。元来こちらへ読書に来ていることをどう心得ているのか、銘々の親兄たちも年若い者を手放し他所へ出されたのだから、第一病気等のことから、様々の気づかいもあり、膝下において用事をさせるべきところをその不自由をも省みないのなら、各(他の)よい人に話されるか又は読み書きできないで一生を送るよりは物の端にでも心得のあるようになれば、という慈悲心をもって遣わされたことであれば、いい加減に心得られては親兄の心にそむき、又、物を習うべき月日を浪費し損なうことになる。凡そ人の仕官する身には勤め向きがあり、農民、商人はその仕事があるから、一生のうちの暇なときの二十才前後の年より外はない。この間を取り逃がしては、家を構えてのちも入湯参宮など、ニ、三ヶ月はあっても一年二年の暇はない。その大事な時間を無用の遊び事で済ませたのでは、その身において允に大きな損となる。又、一郷一村に幾千百人かが居住しているけれども、その中でも読書をさせた親兄は希であり、たまたま、左様の親兄をもった人は大変に幸せなのであって、その心を無駄にするのは、さてさて心無いことである。私は不束者ですが、各々遠方よりはるばる来られてお留まりになることだから、わずかでも力になれればと思っている。私一人では講釈、添削など行き届かないので、他の人を頼んで手伝ってもらっています。この心を少しでも察していただきたい。下男下女等は勿論、大工、畳屋等を使っていても大半は各々方の世話になっている。そうであれば、各々精を出し孝弟(目上の人に仕えること)の道も心得られて、書生といえば行儀がよいものと人も思うようになって下されば、私も世話する甲斐があるというもの、又親兄たちの慈悲心にも大いにそむかないようにしなさい。

一 凡そ当座にておもしろいことは、後にはおもしろくなくなるもので、当座退屈難儀のことは必ず後に役立つものである。これは平生のこととして考えてみれば言うまでもないことで、その一つを言えば、今日、大酒大食をすればその時は快くとも、後には頭痛、腹痛となってしまう。さて、後に残ったものは何もなく、昨日の食は今日のためにはならない。今日文字を覚えればその文字は六十年も七十年も心に残って、役立つことは少なくない。こういったことを察して心得ておくように。

一 主人のやり方の悪いことに気付けば、一つ一つ聞くこと。朝に道を聞き、夕方に死んでも良いと思えば老人といっても遠慮しないようにたのみます。同社中の心に叶わない人があって、党を作ってひそかに様々の相談するなどもあろうから、万一ある時は年長の人が話しなさい。
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