菅茶山顕彰会
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しおり「松風館十勝碑林のご案内」
  2ページに記載の石碑について、
順番にご説明いたします。
1.松風館 しょうふうかん 
  原文形状:四角木柱1面
 ョ杏坪 字:千祺
  (広島藩 藩儒) 
   頼春風の弟、頼山陽の叔父
君推の建てた客殿の名
松林を縫って松籟(しょうらい)が四季折々の音曲を奏でていたのであろう。 
原文木柱には、永富充国の記文あり
 「時寛政十年(1798) 5月13日」
 
2.棣棠橋 ていとうきょう
  原文形状:四角木柱2面
 倉成龍渚 通称:善司
  (豊前中津藩 藩儒) 
山吹が渓流に架かる橋の両岸に植えられていたらしい。
棣棠は「棣(ニワウメ)と棠(ヤマナシ)2種の木」の説もある。  
 
3.鳥語澗 ちょうごかん
   原文形状:四角木柱3面
 赤崎彦禮 
  (薩摩藩 藩儒)
小鳥のさえずりが途絶えることのない渓流 
 
4.鳴玉橋 めいぎょくきょう
   原文形状:四角木柱4面 
 菅恥庵 字:信卿 
  (茶山の末弟) 
   頼春水の門下生
 清流が玉を鳴らすように、ちょろちょろと流れてる橋
 
 5.迎碧? げいへきとん
   原文形状:石標 現存
 柴野栗山 
 (讃岐の人 昌平黌教授) 
眺望ができる碧苔で蔽われた小高い丘陵 
唯一現存している石標で、現物は近所の親戚筋の庭に残されている。
石碑には茶山の記文があり、文化元年(1804)に江戸滞在中の茶山が君推のために書いてもらったとある。 
 
6.浸翠池 しんすいち 
   原文形状:石標
 山本北山 名:信有
  (江戸の儒者)
周囲の積翠(緑)をさかさまに映した池 
 
 7.紅於徑 こうおけい
   原文形状:石標
 岩瀬華沼 
  (肥前島原藩 藩儒) 
山田谷の奥へたどる、楓の茂った小徑であろう。 
 
8.魚樂梁 ぎょらくりょう 
   原文形状:石標
 亀田鵬齋 
  (江戸の儒者)  
水を堰き止め魚を捕る所(梁)
魚を放った水溜まり 
 
 9.垂白棚 すいはくほう
    原文形状:石標
 紫源 (不明) 
枝垂れ白藤が咲き誇る藤棚 
 
10.娯論亭 ごろんてい 
    原文形状:扁額
 菅茶山 
文学の論考を楽しむ所という意味で、林泉の亭の一つであろう。 
娯論亭には、茶山の書による木製扁額が掲げてあった。 扁額に直接墨書されたため、原本も拓本も残されていない。