会報30号掲載 |
茶翁 傘寿の元旦を詠む -百歳時代、健康長寿に学ぶー 上 泰二 平成31年4月、新元号「令和」が公表された。その三日後、筆者84歳は、図らずも知人から茶山直筆の漢詩「元旦二首 のうち一」(左欄)に「春川釣魚図」を模した背景に門松、鏡餅、左肩に鶴、右裾に亀を、扇一面に書かれた扇子を贈られた。ビッグプレゼントに、欣喜雀躍、この筆をとった。 元旦二首 一 (遺稿七) 馬歯今朝八十盈 馬歯(齢) 今朝 八十に盈つ 回頭志業一無成 頭を回らせば志業一として成る無し 蝋梅香裡東窻日 蝋梅 香裡 東窻(窓)の日 又見春來帯笑迎 又春來を見て笑を帯びて迎う (大意) 馬齢八十を超えた。顧みれば、これといって成し遂げた業績は何一つない。 蝋梅の香が東の窓辺あたりから匂って來る。また春を笑顔で迎えられることがうれしい。 (所感) 高徳の鴻儒、菅茶山にして、やがてこの夏、天が定めた最期を迎える八秩の生涯を「志業一無成」と顧みている。片や、我が人生は?、失敗だらけ、悔い多きことの連鎖のように思える。 就中、我が半生を過ごした教育界、歴史が多くの斧正を下し、慚愧・贖罪の念に堪えがたい。 昭和一桁生まれの先輩諸氏の戦中・戦後。生か死かの二者択一、矛盾撞着と激動の時代体験には及ぶべきもない、茶翁を見習って、いつも心に大陽を!笑みを浮べ新春を出迎えるように務めよう。 次の二の結聯も同工異曲、限りある身の明日への希望・祈願を自らに云い聞かせている。 元旦二首 二 (遺稿七) 臥痾恨欠拝新正 臥痾恨む。新正を拝するを欠くを 無奈衰躬負我情 奈ともする無し衰躬我に負くの情 繞舎山禽何意思 舎を繞りて山禽何の意思ぞ 和鳴連作報春聲 和鳴連りに春を報ずる聲を作す (大意) 病臥のため新年恒例の福山藩主阿部正寧公拝賀に出かけられない。 この所、老衰で体が思うように動かない。家の周りでは何の意図があってか、多分、一向に外出の気配がない翁の安否を確かめようとしているのだろう。山鳥が頻りに鳴いて、春の訪れを報せてくれている。 これより十年前の新春、茶山70歳は次のような心情を詩に託している。 七十誕辰 (後編巻七) 酔月迷花七十年 酔月 迷花 七十年 不能翻幸老林泉 不能翻って林泉に老るを幸いとす 人称隠侶兼吟侶 人は称す隠侶兼て吟侶と 身愧頑僲又病僲 身は愧ず頑僲又病僲 壮志非無才素短 壮志無きに非ざれど才素と短く 童心仍有事多愆 童心仍ほ有りて事愆り多し 展觀壽頌堆牀上 壽頌を展觀して牀上に堆し 且喜諸公未我捐 且は喜ぶ諸公未だ我を捐てざるを (大意) 花鳥風月を友として生きて七十年。無能故に、却って、それが幸いし、林泉(大自然)の中で馬齢を重ねた。世間では隠侶とか吟侶とか言って随分持ち上げてくれるが、自分としては、頑なな上に病気がちな変人であることを恥じている。 これでも、壮年の頃は、大志を抱かなかったわけではないが、生来、浅学非才、今もって、童心が抜けず、愆りも多いこと。 それでも、古稀を祝して諸公などからもらった賀詞が牀上に堆く積まれいる。それらを一つひとつ手にとってみていると、世間の人々がまだ自分を見捨てないでいてくれるのが嬉しい限りだ。 高徳の人ならではの衆望・褒賛が茶山の残歯の活力源になっている。 七十自嘲 (後編巻七) 疎拙従来世所嗤 疎拙 従来、世の嗤ふ所 今春七十転添癡 今春七十 転たた癡を添ふ 不知身上残齢減 知らず身上残齢の減ずるを 猶且欣々把壽卮 猶且つ欣々として壽卮を把る (大意) 粗忽な自分は従来世間の嗤い者、今春、七十にもなって益々馬鹿さ加減が増した。この調子でこの先何年生き残れるか分からない。それでもなお嬉々として祝いの杯を受けている。満更でもない。 (所感) 茶山の賀詩は、廉塾を取り巻く自然や茶山を敬慕してやまない人々との交流を詠込んだ、新玉の年への汲めども尽きない希望で結ばれている。 自助努力か、茶翁の行く手には、いつも前向きな不滅の燈が灯っている。 |
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冬至 (遺稿 巻二) 衰老七十五 衰老 七十五 江山復一陽 江山 復た一陽 鬢絲随日短 鬢絲 日に随うて短し 何歳解添長 何れの歳か 解く長きを添えん (備後弁意訳) 中山善照 年ゆ―とりゃんした七十五 山や川にゃあ また春來うに 髪ゃあ 短うなるばあじゃあ いつか長ぎゃんが生やんホか (所感)頭髪が長くなるどころが、禿げていくばかりの衰老を逆手にとって、明るく笑い飛ばしている。一度しかない人生、将に「苦しきことのみぞ多かりき」の感。二者択一なら、ポジティブな生き方を選ぶべきであろう。 |
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気がつけば、傘寿。儒医ならではの幾首かの健康長寿術を詠んでいる。 八十諸友来壽 三 (遺稿七) 微醺小飽戒常持 微醺 小飽 戒め常に持す 為有沈痾自小時 沈痾の小時より有るが為なり 残歯何縁盈八十 残歯 何に縁ってか八十に盈つ 看來二豎是良医 看來る二豎は是良医 (大意) 微酔い、腹八分目を常に自戒、守ってきた。幼時から持病があったからだ。何故八十までも余命を保ってきたのであろうか。 顧みれば一病息災、持病こそが良医。 (所感) 人生百歳時代。「酒人某出扇索書」(後編巻四)にも、「吾輩紳に書すべし」。折に触れ、殊に大好きな甘露への自戒が詠まれている。 この戒めは「筆のすさび」巻之三「大食会」「大酒」でも、繰り返されている。 筆者がふと目を留めたのが、「題壽老人圖」(集外)中の次の詩句。二・三聯は二種類目(太字表記)がある。 食使脾清1食は節すれば、脾をして清からしめ 寡欲自神寧2欲を寡うすれば自ら(精)神寧(易)し 少眠令軆軽2少眠 軆をして軽からしむ 寄言世間人3言を寄す世間の人に 屏欲自気定3欲を屏りぞくれば自ら気定まる 有方能延齢4方あって能く齢を延ぶ 寡慮乃神寧5寡慮 乃ち神寧し 肉体面で腸の健康。寡欲自神寧=知足、中庸。精神面の安寧と相関関係にあると解釈すべきであろうか。儒医ならではの洞察であろう。加えて、茶山の全人格形成の根源とも言える詩酒徴逐、貴賎雅俗の別ない人物交流などに健康長寿の秘訣があるように思う。 賴山陽は「自分を育ててくれた」生涯の大恩人茶山について「茶山先生行状」に、「餐飯極めて少く、飯後は乃ち園圃を逍遙す。既にして帰りて書を読む。また未だ嘗て久しく坐せず」と記述、「終に以て寿を得るもの此を以てなり。」と「食後の散歩」「読書」「小まめに動き回る」など長寿の秘訣を補追している。 江戸時代文政期、「菅君詩を以て世に鳴る」など超弩級の評価を受け、ベストセラーとなった詩については、「吾が詩は縦ひ人が笑うとも、必ずしも補刪(加筆削除)を費さず。自ら吟じ又自ら賞すれば、楽意其の間に在り」(「讀舊詩巻」遺稿巻七)。 「(人生を)楽しむ」「気楽に過ごす」ことに比重を置いている。それこそが、将に長寿の真骨頂のように思える。 |
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