⇒顕彰会会報寄稿 |
「菅茶山顕彰会会報」特別号 令和3年5月(2021) |
故 高橋孝一会長を偲んで 本誌掲載記事語録から見た横顔 |
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令和2年7月31日、本会第二代会長高橋孝一氏(享年89歳)が他界された。
戒名 宝蔵院自覚孝廉居士 謹んでお悔やみ申し上げるとともに、存命中、本会を始めふるさと創生に尽瘁された数多のご功績に深甚の謝意を表するとともに、 |
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高橋孝一会長は昭和7年、現御幸町新茶屋生まれ、昭和28年、大阪外語大学卒、大企業で海外の貿易関係業務を経て、昭和34年、東大阪に、「(株)キングパーツ」創業、昭和61年、不惑の歳、帰郷、会社を現在地岩成に移転、本社とした。 自称「英語とワープロとハイテクの職業を生業とする」企業&地域社会の重鎮としてのCSR実践者。周囲からの懇請を承け、「綿々と引き継がれ成長が期待される顕彰会の土台石になろう」と決意。平成9年、第二代菅茶山遺芳顕彰会会長就任。翌平成10年、、オール神辺町で構成される、その名称も新たな菅茶山生誕二百五十年祭実行委員長を務め、成功裡に一大記念事業を執行。 平成15年、同生誕二百五十年祭、平成18年、西中条山田谷に「松風館十勝碑林」、平成20年、生誕二百六十年祭には、菅茶山記念館に「菅茶山先生顕彰碑」建立&記念アルバム「菅茶山先生顕彰の歩み」の発行など本会総力を結集しての大事業を次々と見事に成就。 郷土に於ける高橋会長の事績・跡の指標の一つは、2011年度、善行市民賞受章。菅茶山顕彰会会長としての業績に加え、これまでの地元の歴史文化の調査研究、就中、備後福山地方の方言辞典「びんごばあ」(1986年)などの出版を通じて郷土文化の普及発展並びに県境を越えた「ロマンチック街道313」(1988年)の提唱者として街道沿いの魅力ある町づくり振興に功績があったことが評価された。企業経営のみならず、地域の魁としてCSRを率先垂範された。 平成25年、本会会長退任。近年、辞意に「滅多に顧問」(こんもん)OKの会合で、隣席、ボトル開栓の握力の低下に気づいていた。自他ともに認める「医者嫌い」であったが、「躓いて転んだ」の原因で、再起が叶わず、遂に、卒寿を待たず、優しい為人を偲ばせる笑顔とともに幽冥境を異にする日が訪れた。 在任中、町内外、茶山ゆかりの地の茶山詩碑建立に携われたが、晩年、それら詩碑群の集大成、画竜点睛の一基として、廉塾養魚池前に茶山自筆の詩「宿生田」碑建立を託された。実現に至らなかったことが、悔やまれてならない。近い将来、この詩碑を建立し墓前に報告できることを希ってやまない。 *Corporate Social Responsibility(企業の社会に対する環境・文化・奉仕などへの貢献) *** *** |
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・8号 1997年11月3日(以下、発行年月日) 第二代菅茶山遺芳顕彰会会長就任あいさつ 私はといえば、英語とワープロとハイテクの職業で、漢字や詩歌とは縁が遠い。綿々と引き継がれ成長するであろう顕彰会の土台石の一つになろうと覚悟を決めた。各位のご協力とご援助を乞い願いたい と。 ・9号 1998年11月1日 ①菅茶山生誕二百五十年祭を終えて 菅茶山顕彰の気運が徐々に高まり、平成元年には、町立菅茶山記念館建設を見るに至った。今回(平成10年)は歿後百七十年祭に代って、『生誕二百五十年祭』を町長故堀田克己氏の英断によって町行事として取り上げられることとなり、神辺町、顕彰会、文化連盟、商工会、教育委員会によって実行委員会(高橋孝一委員長)が組織され、盛大な記念祭を開催。「茶山詩をキーワードとして、従来の詩吟に、コーラス、絵画、演奏など様々な形で現代の人々に紹介する新機軸を加え、初日は折からの台風で雨だったが、翌日は天も味方、快晴、成功裡に幕を閉じた。 ②町並み格子戸展を顧みて 茶山ポエム絵画実行委員会の企画発案により「町並み格子戸展」を開催することを決定、行動に移った。高橋会長の発案で、「格子戸に青竹の一輪挿しを吊下げ、秋の草花を活けると一層絵画が引き立つ」との提案。担当者が展示作品の傍らに会長自作の竹筒に奥様とお嬢様が用意された草花を活けて行った。 *「お山のこんぴらさん」(高橋孝一著)発刊 表紙に「象山献燈」(菅茶山書西中条山田谷) ・10号 2000年3月20日 ①詩碑「荒谷即事」除幕式に草笛 平成12年1月16日、地元町内会の案内を承け、本会役員十名が出席。序幕に合わせて、「菅茶山の神辺といえば、ぎんぎんぎらぎらの夕日の曲(葛原しげる作詞室崎琴月作曲)を草笛で」との要請あり。会長独り得意の草笛で綱引に花を添えさせてもらった。 ②1998年ポエムアルバム 点描 この年、初の神辺地区医院・歯科医院展のほか、ふくやま美術館展、かんなべ町並み格子戸展、かもがた町屋公園交流展、県庁ロビー展、いばら町並み展&恒例の菅茶山記念館展など芸備両国で開催。 因みに、11号では、高橋会長の自社「キングパーツ展」を筆頭に、神辺文化会館展、やかげ郷土美術館展、ぬまくま町民ギャラー展、井原鉄道沿線ふれあい展が仲間入りしている。 ・11号 2001年3月1日 ①かもがた時代村で 江戸学問交流会 11月18日、かもがた町屋公園で、江戸時代後期の文化教育を彩った三碩儒、菅茶山―神辺、柴野栗山―牟礼、西山拙齋―鴨方、三町の顕彰会の交流会での寸劇。 本会からは、高橋会長が神辺の賢者役で出演、「町づくりは人づくり」と三町で手を取り合って、「協力」を約束した。その後、神辺郷土芸能同好会による「傘踊り」の披露や神辺特産品の販売などで交流を深めた。 ②第八回茶山ポエム絵画展 高橋 孝一 日本随一の漢詩人菅茶山の「黄葉夕陽村舎詩」今のわれわれ凡人にはどうも読みづらい。活字離れの著しい若い世代に郷土の偉人に親しんでもらう手立てとして考えたのが、平成5年創始の「茶山ポエム絵画展」である。旧山陽道に面した「町並み格子戸展」も訪れる人々を楽しませている。町の新しい風物詩である。 ・12号 2002年3月1日 歴史の刻~義倉田石碑と除幕式~ 義倉田石碑は昔、御幸町中津原の田圃にあった。芦田川の護岸工事で見えなくなったため、財団法人「義倉」へ里帰り。 「義倉」からは、わが「茶山ポエム絵画展」ほかにも多額の助成を頂いている。 *13号→義倉創設者・河相周兵衛像が財団法人「義倉」(福山市城見町)の玄関脇に建立され、高橋孝一氏も立ち会い人の一員として、その除幕式に参列したとの記事が掲載されている。 ・13号 2003年3月1日 廉塾と本陣のまつり 神辺のシンボル「廉塾」&「神辺本陣」を会場に二つの秋祭りが行われた。廉塾では「茶山ポエム絵画展」十周年回顧展」、本陣では「動く夢シアター」と銘打って、コンサートや歴史講座、TV中継もあって、主会場と旧山陽道は多くの観光客で終日賑わった。 ・14号 2004年3月1日 菅茶山生誕二百五十五年祭 平成15年10月15日付、高橋実行委員長祭文で、出版物として「茶山詩話」全七集(平成4年~10年)、「茶山遺墨集」(平成元年)の発刊、「茶山詩碑」の建立。今コロナ禍で、ICT導入の立ち後れが指弾されているが、当時、時代に先駆け、インターネットで「菅茶山遺芳顕彰会ホームページ」(平成14年)の立ち上げるなどで、町文化の大きなうねりをおこしたと自負、これ偏に町内外支援団体や有志のご厚志によるものと深謝している。 ・15号 2005年3月1日 ①菅茶山記念館に陶子句碑建立 菅茶山記念館前庭に竹下陶子先生の句碑が建立された。碑文どおり、永久に「菊薫るかぎり茶山の文化あり」の茶山のふるさと神辺であってほしい と高橋会長も一句。 ②三和町に伊能忠敬記念碑 昨秋、三和町のホテル正面に「伊能忠敬測量之地」記念碑が建立された。この他、文化8年2月10日~15日の第七次「伊能忠敬測量隊宿泊邸跡」の碑が、現神石高原町油木、三輪酒造前、同下井関、門田久治郎翁邸跡、同豊松中平、庄屋矢田貝孫兵衛正都邸跡に建立された。高橋孝一氏が情報提供と建碑に関わる陰の功労者であったことは言を俟たない。 ・16号 2006年2月28日 江戸時代後期中条山田谷に河相君推という書画を蒐集、和歌を嗜む富豪がいた。茶山と遠縁。客殿「松風館」を含む周辺に十勝を配し、茶山に伴われた天下の有名文士を心からおもてなし、地域創生の礎を築いた。その史跡を顕彰するため、「松風館十勝碑林」が作庭された。 *会報31号→令和2・3年(2カ年計画)で、整備保存事業を実施。すでに「義倉」から助成金を贈られている。永年変わらぬご支援にこの紙面を借りて厚く感謝申し上げたい。 因みに、「義倉」創設者の千田村河相周兵衛は土居河相家河相君推の分家筋に当たる。 ・17号 2007年3月1日 萬念寺に菅茶山詩碑建立 「平成十八年三月一日、神辺町は福山市に編入合併し、神辺町の歴史と文化遺産は福山市の魅力をさらに高め、新たなスタートをきりました」で高橋会長の巻頭言。 国特別史跡「廉塾」並びに「神辺本陣」に思いを馳せたのであろうか、菅茶山の菩提寺佛見山萬念寺門前に建立された詩碑「夏日雜詩」(写真)が掲げられている。 ・18号 2008年3月1日 茶山祭盛大に開催 巻頭言は「廉塾にホタル飛ぶ」を鵜野謙二理事に委ね、高橋会長は、11月3日、茶山祭、茶山墓碑前での「祭文」で、「筆のすさび」「風俗問い状答」の出版を報告している。 本号に、堂々川ホタル同好会事務局長・本会会員土肥徳之氏「黄色い光に魅せられて」の玉稿が寄せられている。高橋孝一氏も同会設立発起人の一人。奇しくも茶山詩の主人公ホタルがお三方の縁結びをしている。 *「福山市御幸町新茶屋物語」(賛助・顧問 高橋孝一 平成4年)発刊 ・19号 2009年3月1日 菅茶山生誕二百六十年祭 地元七日市自治会の協力に支えられ、初の廉塾会場での二百六十年祭。羽織袴姿の高橋会長が祭文で、菅茶山(遺芳)顕彰を顧みている。 古くは大正15年、北辰会による歿後百年祭まで遡る。、不幸な大戦によって長期間中断後、昭和51年に復活した百五十年祭、平成10年、生誕250年祭に衣替え、以後5年毎に開催。 *2010年8月 JR湯田村駅前北、寶泉寺山門前に「天明の義民碑」(高橋孝一書並建立)。「義民の郷かんなべ」ふるさと起こしの一つ。 ・20号 2010年3月1日 「伊能忠敬測量の地」記念碑 高橋孝一 この号に限って、高橋会長は、定番の巻頭言でなく「ペンのすさび」(5㌻)と題し寄稿している。 要旨 榎本武揚が主人公のはずだったが、武揚の父、箱田良助―その師伊能忠敬の順で物語は展開される。記念碑建立(15号関連記事)に及んだのは、箱田良助が大日本輿地図作成に深く関わっていたこと、良助ゆかりの伊能忠敬測量隊の事蹟顕彰の記念碑が地元にあることを広報したいためである と。 *この年の秋、福山城博物館特別展「伊能忠敬の内弟子筆頭箱田良助と榎本武揚」が開催され、阿部・伊能・榎本家の子孫が神辺ゆかりの地にも足を延ばした。この来訪へのオーベイションか。 *箱田良助 安那郡箱田村(現神辺町箱田)細川家が生家。父、第十代細川圓右衛門直懿、母卜部氏の次男。何らかの経緯で地名をとって姓としたらしい。 |
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**以上は『菅茶山顕彰会会報復刻版』に収録** | |
・21号 2011年3月1日 廉塾 屋傍池あり 菅波哲郎氏裏づけ 昨2019年、廉塾修復工事に伴う事前の発掘調査で、講堂の東に池があったことが裏づけられた。殊勲甲の発見者は県博副館長菅波哲郎氏。高橋孝一氏が平成22年11月1日付、「中国新聞」で読後直ちに、自ら福山支局に記事転載許可を取り、編集部へ連絡。 *「逃げた魚~芦田川下流域の魚取り今は昔~」出版 ・22号 2012年3月1日 高橋会長ら善行市民賞受章 2011年12月10日、リーデンローズで福山町づくり推進大会が開かれた。席上、本会会長高橋孝一・常任理事鵜野謙二両氏に対して、善行市民として賞状と記念のメダルが贈られた。 高橋会長はこれまでの地元の歴史文化の調査研究、就中、備後福山地方の方言辞典「びんごばあ」(1986年)などの出版を通じて郷土文化の普及発展並びに県境を越えた「ロマンチック街道313」(1988年)の提唱者として街道沿いの魅力ある町づくり振興に功績があったことが評価された。 *町観光協会広報紙「かんなべ浪漫」2010年発刊第1号からコラム欄執筆」 *「私の徒然草」出刊 ・23号 2013年3月1日 ①茶山ポエム絵画展回顧 本年茶山ポエム絵画展が20年目を迎えた。 創始の前年平成4年、「まんが物語・神辺の歴史」(中山善照編)が出版され、「菅茶山」の詩が子ども向けに現代語訳されていた。それをヒントに子ども向け訳詩を提供、それをイメージした絵を描いてもらう計画が実現した。 気がつけば、20年、多くの人々に支えられ、毎回、3000点を超える応募が続いている。 今回、諸般の事情で、公財かんなべ文化振興会菅茶山記念館にバトンタッチすることになった。これまでの深安地区医師会、公財渋谷育英会、義倉財団、神辺町、神辺ライオンズクラブなどのご支援に感謝すると共に、今後の発展を期待したい。 なお、24号「茶山ポエム絵画展二十年の軌跡」に詳細を整理している。 ②高橋会長ご挨拶 平成24年度定例総会 ~茶山関係資料等、何故の県博寄贈?~ 茶山の子孫菅好雄氏が菅茶山関係資料などの寄贈先を県博に選ばれたのは、菅茶山記念館では収蔵不可能な大地図や巻物など一万点余、茶山在りし日そのままにきっちり整理されることを切望されたから と初の言及。それを承け、同館では専門の学芸員を配置、鋭意研究を続けている と補足。ふるさとの寶物の町外流出批判に対する説明責任。 ・24号 2014年3月1日 高橋会長顧問に、後任に鵜野謙二会長 平成25年度定例総会で、高橋会長が、退任する役員を代表して平成9年から15年間にわたる会長としての来し方を顧み、会員の協力に対して感謝のごあいさつがあった。 ・25号 2015年3月1日 朗読劇「天明の篝火」 2015年3月16日、神辺文化会館で朗読劇「天明の篝火」が上演された。神辺が福山市に合併されて八年、誇り得る郷土の財産の風化を防ごうと「神辺ふるさと会」(高橋孝一会長)を結成。その一カ月後の公演。収容定員を超える八百有余名の観客を感動させた。 *本号巻頭言は高橋会長の指示で急遽写真ごと差し替え ・27号 2017年3月1日 ①初の全国砂留シンポ 2016年10月9日、神辺文化会館で、「御領の古代ロマンを蘇らせる会」(高橋孝一会長) 主催第1回全国砂留シンポジウムが高橋会長の「近年、災害は忘れない中にやって来る」の至言で開催。小学生から後期高齢者まで三世代が一堂に会して、砂留について来し方行く末を語り合った。以後も、全国NO,1へ向け次世代も協働の活動が継続されている。 ②高橋孝一氏、トークショー 於 葛原邸 10月22日、文化保存会が葛原邸の改修工事を終え、「にこにこ茶屋」を開店。記念のトークショーに高橋孝一氏が「西ドイツなど海外生活の体験から、ロマンチック街道313提唱に至る経緯を語り、「何事も到底一人ではできない」。官民の協力でのふるさと創生を呼びかけた。 ③義民定藤仙助の案内板設置 2016年3月15日 下竹田で、神辺の五義民の一人「定藤仙助」の案内板除幕式 神辺ふるさと会(高橋孝一会長) ④宮原直倁顕彰会発足 10月18日、一心寺(福山市寺町)で「備陽六郡志」の著者宮原直倁の展墓開眼供養が行われ、高橋孝一氏が、墓前で草笛の序奏、橋本征四郎神辺文化連盟会長が献詩吟詠を捧げた。 ・28号 2017年3月1日 ①夢街道ルネサンスかんなべ浪漫街道 1988年、高橋孝一氏が鞆から倉吉までの沿線の青年会議所に呼びかけ、夢街道ロマンチック街道313を提唱、沿線住民が協力し合い、地域の歴史、文化、自然、観光資源を発信、地方創生の先導的試行を呼びかけていた。今回、国交省中国地方整備局などが地域を応援する制度、「夢街道ルネサンス」(高橋邦広会長2001年創設)が申請、本年福山市としては初めて認定された。 ②HP菅茶山新報へ寄せて 菅茶山顕彰会は時代を先取り早くも平成14年4月、当時の渡邊慧明事務局長を主担にHP開設。平成26年に一旦その幕を閉じ、キングパーツ株にお願いし、同社のHPの一部に移設。平成29年新たにサーバー契約を結び、新報として発信しはじめた。 *2017年2月25日 朗読劇「草根の賦」(主催 神辺ふるさと会)公演 ・29号 2019年3月31日 菅茶山生誕二百七十年祭を終えて ①高橋孝一氏、十八番の草笛で開演 2019年3月2日、かんなべ文化会館大ホールで市民朗読劇「梅花の契り」公演。観客の大きな拍手に迎えられ、高橋孝一顧問が十八番の草笛による開幕演奏。 ②手作りティマット 大好評 記念品として配布されたティマットは高橋孝一顧問奥様靖子様のご指導の下、安原三津代氏、小林貞子氏らが手作りしたもの。 ・30号 2020年3月1日 廉塾に茶山自筆の詩碑建立を 高橋孝一顧問によれば、20年ほど前、茶山自墨の書が大阪城博物館所蔵と聞いて、廉塾にこの詩碑の建立を申し入れたが叶わず。今回廉塾修復を機に、これまで建立された町内外詩碑群の集大成、画竜点睛の一基としてこの詩碑を建立、碑前で全国朗吟大会を定例化したい と。件の墨書(写真と原版)は顕彰会に寄託されている。 ・31号(予定稿)取材記事 2020/10/03 故高橋孝一氏へ 彼岸花植栽で弔意 過日、故高橋会長の靖子奥様と土肥会長が弔意表明について相談したところ、「彼岸花を5番砂留のサクラ看板の周辺に植えて貰えれば最高です」とのお言葉。10月11日、有志が現地集合、故人の冥福を祈って、黙祷。ダイヤモンドリリーを植栽。年々歳々、彼岸の訪れとともに、姿を現し、継承者の活動を見守ってくれることだろう。 |
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