墓碑は親交の深かった頼杏坪(きょうへい)が自ら撰して書いています。 頼杏坪は頼三兄弟の末弟で、広島藩儒者、茶山とは親しく交際しました。 文面は、茶山の出自に始まり、塾名、号の由来、家族・後継者のこと、さらに塾の経営や漢詩人としての全国的な交友についてなど、その事跡がよくまとめられています。