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特別史跡 廉塾ならびに菅茶山旧宅 深安郡神辺町大字川北640-3ほか 昭和28年3月31日指定 廉塾は1781年頃に菅茶山(かんちゃざん)が開いた塾で、講堂・寮舎・居宅・書庫・菜園・養魚池があります。講堂は3部屋20畳敷きで、東に竹と板を組み合わせた濡れ縁と、円形と方形にくりぬいた「方円の手水鉢(ほうえんのちょうづばち)」があり、高屋川から引いた水路を隔(へだ)てて3室の寮舎があります。 菅茶山(1748〜1827)は宿場町神辺の東本陣(酒造業)に生まれ、京都で朱子学を学び神辺に塾を開き、全国から学生が集まりました。また、菅茶山は「当世随一の詩人」ともいわれた漢詩人で、困窮時に備えて米麦を蓄えておく朱子社倉法を実践した社会事業家でもありました。多くの文人が廉塾に立ち寄り、神辺に文化の華が開きました。当初、「黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)」と呼ばれた塾は、後に「神辺学問所」とも「廉塾」とも呼ばれました。 平成15年3月31日 神辺町教育委員会 神辺町観光協会 |