最新のニュースは No.98 です | ||
菅茶山顕彰会と菅茶山に関連するニュースをお知らせします | ||
No.98 [2016.2] |
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今年は梅の開花が早いとの風評もあり、2月7日(日)「茶山ゆかりの地訪問会」を開催しました。顕彰会理事の武田武美さんの案内で、参加21名が茶山や門人の足跡を学びました。 まず、神辺公民館の詩碑「丁谷餞子成卒賦」の前で、頼山陽が上京の途中、77歳の茶山を訪ねて旧交を温め、出立の日には丁谷(ようろ谷)梅林を訪れ、酒を酌み交わし別れを惜しんだという話を聞きました。 次に、丁谷梅林に移り、石碑「茶山山陽餞飲之所」に集まり、寒空に未だ三分咲きの梅花を見て、茶山と山陽の故事に思いをはせました。帰路、養老集会所前の鈴鹿秀麿の歌碑に立ち寄りました。「わけいれば 袖のたもとも 薫るなり よほろの谷の 梅の中道」の歌に同感しました。 フィールドワークの結びは、廉塾から直近にある西福寺です。本堂前の「西福寺賞梅」の詩碑と梅の木を見学しました。「梅花の下で茶詩会を催したら、この木をねぐらとする小鳥を驚かしたらしい」という茶山ポエムに茶山の優しい心が偲ばれます。寺の境内にある小早川文吾(楽々翁)の墓にも詣で、彼のことを学びました。 {注記}鈴鹿秀麿と小早川文吾は共に神辺に生まれ、菅茶山に学んだ文化人で、郷土に多くの業績を残しています。詳細は福山市ホームページなどご参照ください。 |
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No.97 |
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新春16日菅茶山記念館において2015年度茶山ポエム絵画展の授賞式が行われました。最優秀賞・優秀賞を受賞した子ども達の代表21名が、多数の来賓や関係者の見守る中、福山市かんなべ文化振興会の三好雅章理事長から表彰されました。 今回は近隣の幼稚園・保育園および小・中学校の23校園(昨年度21校園)から3,230点(昨年度2,968点)と昨年度を上回る応募があり、最優秀賞8点、優秀賞121点、入選472点、合計601点が選ばれました。 |
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ポスターの絵に選ばれた最優秀賞の山口みひろさん(誠信幼稚園)が司会者の質問に答えて「梅の花びらを描くのが大変でした。お花はひまわりとバラも好きです。木の下の人はおとうさんと私」などと話しました。 記念館での展示は2月7日までとなっていますが、その後は、かんなべ街並み格子戸展(5月、10月)、町内医院・病院展示(各1枚)、福山市役所ロビー展(10月)などが予定されております。 |
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No.96 |
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11月5日朝、天気の気になる神辺を大型バスで出発しました。参加者36名の中には顕彰会会員以外の方々も多くおられ、顕彰会の輪の広がりを感じました。 |
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岡山県備前市に入る頃から天気は回復、備前焼ギャラリーを見学したのち、日生で新鮮な魚料理を食べ歓談しました。 |
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特別史跡旧閑谷学校では和気町職員の森元さんのガイドで丁寧に見学して回りました。孔子をまつる聖廟前の「楷の木」の紅葉は見頃を過ぎていましたが、青空に映え見事でした。 |
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次に向かったのは和気町民俗資料館・和気神社です。和気清麻呂像の前で記念写真を撮り、資料館⇒和気神社と見学しました。宮司さんの説明も上手で、和気町がいにしえの歴史を大切にしていることを感じました。 |
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菅茶山は1776年(安政5年、茶山29歳)、頼春水、西山拙斎、姫井桃源と閑谷黌を訪ね、漢詩「閑谷」(絶句と長詩の2首)を作り、創建した池田光政公の偉業をたたえています。 |
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No.95 |
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顕彰会では、「茶山顕彰活動の輪を広げよう、もっと茶山先生のことを知ろう」と、会員や関心のある人を対象にした学習会を始めました。近年、かんなべ文化振興会や生涯学習センターなどの行事で菅茶山を学ぶ機会は増えていますが、顕彰会らしい学習会を目指します。 |
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第1回学習会は、10月31日に「菅茶山と廉塾について」をテーマに開催しました。 まず、鵜野会長の案内で廉塾を見学し、茶山についての講話を聴きました。 続いて七日市上集会所に移り、菅茶山顕彰会紹介などのスライドを見た後懇談しました。 講演会とは趣を異にした、和やかで親近感のある学習会になりました。 |
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No.94 |
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菅茶山や頼山陽に影響を受け、生涯その信念を貫いた門田朴斎(ぼくさい)の足跡をその作品とともに紹介した展示会が10月15日から11月23日まで開催されました。 朴斎は茶山の後室宣(のぶ)の甥で、12歳から茶山に師事し24歳の時には茶山の養嗣子となり晩年の茶山を支えました。 茶山死没の直前に門田姓に還り、その後は京都に行き頼山陽に学び、間もなく福山藩に登用されて24年間江戸にて儒官を勤めました。 尊王攘夷を上申し免職となりましたが、10年後に復職し藩の侍講、誠之館教授など歴任し、明治元年に辞職し同6年に死没しました。 なお、朴斎の子晋賢は、茶山後継者になった菅三の死没後、廉塾の後継者になりました。 |
No.93 |
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神辺町商工会が主催し地元諸団体が協賛する歴史まつりが、今年も神辺本陣を主会場に開催されました。好天に恵まれ、多くのリピーターと新客が西国街道を往来しました。 菅茶山顕彰会では、街道沿いの町家に「茶山ポエム町並み格子戸展」を開きました。 |
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本陣「お成りの間」では定番の歴史講演会が開かれ、歴史マニアを楽しませました。 |
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本陣 | 廉塾の前 |
本陣の中庭 | 廉塾の模擬店 |
No.92 |
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今年は玉蘊没後160年にあたり、故郷尾道での記念行事に続き、広島県立歴史博物館において、玉蘊の足跡と画業を紹介する展示会が開催され評判になりました。(期間:10月9日〜11月23日) | |
展示コンセプトは、「女性の社会での活躍が期待される現代ならではの視点で,玉蘊の生きた時代や彼女の生涯を見つめ直すとともに,現代に生きる輝く女性を応援する展示会」です。(パンフレットから) 頼山陽との恋の次第や彼女を高く評価し支援した菅茶山や頼家の人々との交流など、多くのエピソードが紹介されました。 |
No.91 |
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菅茶山の命日にあたる8月13日朝 茶山先生の眠る広島県史跡「菅茶山の墓」において、顕彰会会員有志と地元帰南自治会の皆さんが集まり、恒例の墓前祭が催されました。 菅家墓所を皆で清掃した後、順次墓前に香を供え礼拝しました。子供たちも神妙に手を合わせていました。 終りに、全員で「茶山賛歌」を合唱しました。 |
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墓所は国道313号線から少し入った所にあります。墓所に通じる道の入り口には昔作られた石柱の案内碑があるのですが、判読できないほど風化していました。 |
No.90 |
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「福山市 何もないとは言わせないプロゼクト 第1回福山ブランド認定品・登録活動」が発表され、「廉塾整備・美化活動及び地域伝統文化の継承」が登録活動部門(まちづくり)の筆頭に登録されました。(6月6日朝刊、福山市ホームページ参照) |
No.89 |
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平成26年度定期総会が、5月27日神辺商工文化センターで開催されました。 |
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中山善照氏は、菅茶山がこどもたちにも判るように、まんが物語『神辺の歴史』でこどもに親しまれる菅茶山を描き、「茶山ポエムの歌」の作詞作曲、茶山漢詩をわかりやすく現代風に翻訳したポエム詩などを発表しておられます。 |
No.88 |
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ゴールデンウイークの5月2日〜6日 廉塾から神辺本陣に至る旧山陽道沿いの格子戸のある家々にポエム絵画が展示され、町行く人たちに鑑賞されました。 |
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No.87 |
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春とはいえ小雪の舞う中、菅茶山顕彰会メンバー24名が広島県竹原市に出かけました。竹原は江戸時代に塩田と酒造で栄えた町で、菅茶山と交友の深かった三頼と称された頼春水・頼春風・頼杏坪の生まれ故郷で、春水の子 頼山陽にとっては父祖の地です。 まずは現地ガイドの案内で町並み保存地区を散策、テレビドラマで人気のマッサンの生家「竹鶴酒造」、松阪邸、三頼の生まれた頼惟清旧宅、春風館・復古館などをゆっくりと見学し、大切に保存された歴史と文化の醸す町の情緒を堪能しました。 竹原頼山陽顕彰会との交流会では、頼一族と菅茶山との縁を語り合い、茶山と山陽の功績を将来にわたって知らしめる努力を続けることを確認しました。 帰路は安芸津歴史民俗資料館に立ち寄り、万葉の時代から港として栄えた安芸津の歴史・産業などを見学し、 '広島の酒'を全国的なブランドにした広島杜氏の醸造技術について学びました。 |
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No.86 |
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No.85 |
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No.84 |
茶山ウイーク2014開催 | |||||||||||
第14回神辺宿歴史まつりは過去最多の来訪者 | |||||||||||
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No.83 |
何もないとは言わせない!廉塾 | |
鵜野会長が福山市HPで、福山の土地が育てた |
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福山市ホームページの「何もないとは言わせないシリーズ」インタビュー第2回目に菅茶山や廉塾を守り顕彰活動をしている「菅茶山顕彰会」の代表鵜野謙二さんが登場しました。 |
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――今後の目標は? 菅茶山は人生80年,自分自身を磨く努力を惜しまず,中庸の美徳そのものでありました。そしてそのベースには地元愛がある。そんな菅茶山を,そして廉塾を、知らないわけにはいかないぞと福山のみんなに同じ気持ちを持って欲しいです。そういう発信を私だけじゃなく,みんなでしていかなくてはいけないなと思っています。福山市外からいらした方に,だれでも語れる,みんなが案内できるっていうふうにならないとね。 |
No.82 |
廉塾保存修理計画がスタート | |
現地調査実施、建物修理が急がれる | |
9月定例福山市議会において、近年急速に老朽化が進む廉塾の保存修理について、質疑応答がありました。それによると、8月下旬から廉塾現地調査が実施され、その結果を踏まえて来年度から保存修理計画が始まるとのことです。 |
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北側全景 | 屋根の破損とシート掛け |
傾いた書庫の屋根 | 土壁のはがれ |
No.81 |
子供たちが漢詩の魅力を紹介 | |
廉塾CG、茶山ポエム絵画の紹介と 茶山ポエム「神辺の四季」の発表 |
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9月14日 県立歴史博物館で開催中の「菅茶山関係資料の重文指定」記念展の関連行事として「子供たちが漢詩の魅力を紹介するイベント」が開催されました。 |
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神辺小学校6年生が茶山ポエム「神辺の四季」と題し「茶山ポエムの歌」と菅茶山漢詩の素読を発表しました。菅茶山詩の素読は授業の一部として日頃から諳んじているもので、茶山先生の素晴らしさを十分に伝えるものでした。 |
No.80 | ||||
菅茶山関係資料が 国重要文化財に指定 |
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県立歴史博物館所蔵の5,369点 | ||||
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そのあと菅茶山顕彰会理事との交流会が行われ、竹原頼山陽顕彰会会長の竹鶴壽夫氏から、研修旅行、講演会、頼山陽吟詠会、会報発行など多彩な活動状況の紹介がありました。 |
平成26年7月12日、竹原市の竹原頼山陽顕彰会一行35名が神辺に来られました。 菅茶山顕彰会からは鵜野会長他が案内役となり、廉塾、菅茶山墓所を見学されました。廉塾講堂の前で、双方が詩吟を吟詠することになり、頼山陽・菅茶山の詩がそれぞれ披露されました。
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交流会のあと、県立歴史博物館に移動し、夏の展示「近世文人の世界―神辺に花開いた文化―」開催記念講演会に合同出席しました。 | ||||
講演は「菅茶山関係資料の魅力」という演題で、前文化庁主任調査官 岡部幹彦氏が、菅茶山関係資料がこのたび国重要文化財に指定された経緯や資料の価値・魅力などについて話されました。特に、松平定信と茶山との接点、茶山の蝦夷地への関心など他では聞けないものでした。 |
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平成26年度定期総会が、5月21日備後国分寺で開催された。所蔵の「菅茶山書屏風六曲一双(綾瀬舟遊即事三首ほか)」が正面に飾られた部屋での総会は、趣のあるものでした。 |
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総会風景 |
講演会風景 |
総会後本堂に場所を移して記念講演が行われ、住職横山全雄師から「備後国分寺の歴史と文化」について興味深いお話を拝聴しました。 |
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第21回目のポエム絵画展が、菅茶山記念館で2014年1月11日から始まりその初日に表彰式が行われました。 |
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2013年12月、第20回ポエム絵画展入賞作品22点が、ミクロネシア連邦ポンペイ島の小学校・幼稚園に運ばれ、子どもたちに紹介されました。 |
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子どもたちに絵の説明 |
ポンペイ島の子どもたちに絵のテーマなどを説明され、絵の勉強に役立つだけでなく、日本文化を知る機会にもなったようです。 お世話頂いたのは、ポンペイ島小学校支援の会代表の羽原美代子さん(笠岡市)です。 羽原さんたちは、クレヨンや絵具などを贈る活動や図画教育の支援を数年間続けておられます。 このようなポエム絵画を通した文化交流は顕彰会の重要課題でもあり、今後とも多方面の交流活動を続けてゆきます。 |
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菅茶山生誕265年にあたる平成25年12月1日、その生誕祭行事として記念講演会が神辺文化会館小ホールで開催されました。 講演に先立ち、「茶山ポエム・神辺の四季」をテーマに、神辺小学校6年生の児童80名が菅茶山詩の素読とポエムの歌の合唱を発表しました。 記念講演は、現代教育研究所代表 杉原耕治先生による「神辺の歴史と文化〜菅茶山の歩いた道」と題した講話でした。 |
杉原耕治先生の講演 |
講演では『歩き旅が基本の江戸時代、茶山は80年の生涯で、江戸へ2回(うち1回は水戸まで)京阪に6回の長旅を重ね、行く先々で文人墨客と交流を重ねた。 また、山陽道に面する廉塾に立ち寄る旅人との交流、近隣の友人・旧知を足しげく訪問するなど、菅茶山の交際の広さ、経験の豊富さが、すぐれた作品を生んだものと思われる。』との内容でした。 |
四季折々の自然を味わいながら、かんなべ往来を歩かれる茶山先生の姿が目に浮かぶような、心に残る講演でした。 |
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菅茶山顕彰会が長年にわたり菅茶山の顕彰活動に取り組み、文化財の保護と活用、地域文化の振興に貢献した功績に対し表彰状が送られました。 |
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平成25年度定期総会が、5月18日神辺町商工文化センターで行われた。 |
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最初に 高橋孝一会長より、開会挨拶と今回退任する役員を代表しての退任挨拶があった。 | |
鵜野謙二新会長挨拶 |
議事では 1)平成24年度事業報告・会計決算報告ならびに監査報告、2)役員改選、3)平成25年度事業計画・会計予算案がそれぞれ審議され承認された。 続いて新任役員の紹介と鵜野謙二新会長の就任挨拶があった。 恒例の記念講演は「菅茶山の楽しい手品」と題した小川佶延氏の手品を鑑賞した。手作りの手品道具を駆使して、茶山先生の顕彰にふさわしいものであった。 |
小川佶延氏の手品 | |
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第20回目の節目となるポエム絵画展が、菅茶山記念館における表彰式をスタートに始まりました。 |
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3月5日〜3月10日 福山美術館において、入選作品のうち最優秀賞と優秀賞を受けた130作品を展示。 引き続いて、福山市役所ロビー展、町内医院・病院展示、かんなべ街並み格子戸展などで展示されました。 |
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ポエム絵画展には、市内の18の幼稚園、小学・中学・高校の子どもたちから、3,068点の応募があり、縄稚輝雄先生を委員長に選考会を行い、 |
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No.70 |
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平成24年度 定期総会開催 | ||
役員と理事の全員を再任 茶山ポエム絵画展今20回展をもって終了 記念講演「福山市図書館の歴史を振り返って」 福山市中央図書館長 早川 邦夫 先生 |
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平成24年度定期総会が5月19日、神辺商工文化センターで開催され、全ての議案が承認可決されました。 今年は役員改選期ですが全員が留任することになりました。しかし、高齢化等の課題もあり、今年度末に再度検討することになりました。 また、茶山ポエム絵画展について、情勢の変化などを考え、今年度、第20回の応募をもって終了。来年度以後の募集を停止することで関係小学校との連絡調整を計ることになりました。 |
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福山中央図書館長 早川邦夫先生による記念講演「福山市図書館の歴史を振り返って」は、まず福山の図書館の始まりが河合周兵衛らが興した義倉に始まり、1945年の福山大空 襲で焼失するまで義倉図書館として地域文化の発展に寄与した戦前の歴史を話されました。茶山ゆかりの義倉の大きな貢献にあらためて思いを巡らせるお話しで した。 戦後、1948年に市立の図書室が開設。その後、福山市三吉町に市立図書館として開館。多くの市民に親しまれました。 その間、周辺地域では市町合併に伴いそれぞれ地域の図書館を基盤に充実発展しています。 2008年、福山市中央公園内に「学びの館ローズコム」の一翼として「福山市中央図書館」がオープン。生涯学習の拠点としての機能を充実ながら現在に至っています。 最後に近年、諸媒体のデジタル化、電子化が進む中で紙をめくって読む「書物」が消えるのではないか、と懸念について「紙と電子、どちらにも長短があり、それぞれの特徴を生かしながら共存していくだろう」とのお話しに共感したところです。 |
No.69 |
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石見銀山世界遺産センター 三瓶小豆原埋没林公園を訪ねて |
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晩秋の銀山街道と蘇る4000年の昔を堪能 菅茶山顕彰会第2回会員研修旅行 |
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平成23年11月17日、一行14人を乗せたバスは霧に包まれた三次から赤名峠を越え、島根県太田市 三瓶山麓の「三瓶小豆原埋没林公園」に着きました。 そこには、およそ4000年の昔、三瓶山最後の噴火による火砕流・土石流で埋もれた杉の巨木が発見・発掘保存された「地底の森」がありました。長い螺旋階段を降り、地下深くに立ち並ぶ縄文のタイムカプセルを前に悠久の自然に感動を覚えたことでした。 続いて2007年にユネスコ世界遺産に登録された石見銀山、その全貌を紹介する「石見銀山世界遺産センター」を訪問し、16世紀から始まる銀採掘にまつわる数々の資料をつぶさに見学しました。 最後に、現地ガイドの案内で銀山によって栄えた「大森の町並み」をゆっくりと散策しました。 山々は紅・黄・茶に彩られ、心洗われる晩秋を楽しむ一日となりました。 |
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No.68 |
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平成23年度定期総会開催 | ||
秋の研修旅行への参加呼びかけ 記念講演「黄葉夕陽村舎詩の成立」 広島県歴史博物館 主任学芸員 西村 直城 先生 |
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平成23年度菅茶山顕彰会定期総会が5月21日 神辺商工文化センターで開催され、全ての議案が可決されました。今年も「茶山ポエム絵画展」の活動が中心になりますが、昨年初めて実施した1日研修旅行(ニュースNo65参照)を今年も計画する予定です。 「黄葉夕陽村舎の成立」と題した広島歴史博物館 主任学芸員 西村 直樹 先生による講演では菅家から同館に委託 |
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された膨大な遺品・資料の中で茶山の活動が最もよく集約された作品集である同詩集の整理・分析の経過を話されました。 この「黄葉夕陽村舎詩」は平易な言葉で写実的な表現をもって新たな分野を開拓していった茶山の40有余年にわたる作詩活動の集大成として3編23巻2400首余りを収めるものであり、発刊されるやベストセラーとなり幕府大学頭林述斎をして「詩は茶山」と言わせたことは有名です。 同館では今後長くかかるだろうが茶山の業績を後世に伝える作業を続ける、とのお話しに今更ながら茶山の精力的な活動に敬服したことでした。 |
No.67 |
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画用紙いっぱいにイメージを展開 | |||||
第18回 茶山ポエム絵画展 始まる | ||||||
菅茶山顕彰会 2011年1月15日 | ||||||
第18回茶山ポエム絵画展が2011年1月15日から2月6日まで菅茶山記念館で開かれています。 公開の初日には入選者の表彰が行われ、福山市立道上小学校1年生 斎藤晴紀くんが受賞者を代表して挨拶しました。審査委員長の縄稚輝雄先生から「この絵画展には毎年3000点を越える応募があるが、どの絵も画用紙いっぱ いに自分のイメージを表現しており、見ていてとても楽しい。皆さんの力を引き出して下さった家族や学校の先生、お友だちに感謝しましょう。」とのお話しが ありました。 なお、優秀作品130点は3月1日〜3月6日の間 ふくやま美術館で展示される予定です。 |
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No.66 |
全学級で授業を公開 |
全校で歌う「茶山先生ありがとう」 |
神辺小学校 第39回教育研究集会で発表 | |
菅茶山顕彰会 2010年10月30日 | |
福山市立神辺小学校(久保辰己校長・児童数500)で10月30日、「第39回教育研究集会」が開かれ、同校の教育活動が公開されました。 授業参観の後、全校児童が体育館に集まり、ミュージカル「Chazan Poem 花と蝶のファンタジー」をくり広げました。 この音楽劇は菅茶山顕彰会が毎年行っている「茶山ポエム絵画」の題材「花と和尚さん」「蝶」などで構成され、参観者の明るい笑いを誘いながらの40分にわる熱演でした。 |
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子どもたちが大人になった後々まで、ふる里「かんなべ」を心に深く刻みこんでほしいと願っての取り組みであり、「茶山先生はいつも私たちの心の中に生きています」との言葉が印象的でした。 |
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頼山陽史跡資料館などを訪問見学 | No.65 |
初の会員研修旅行 秋の一日を和やかに楽しむ | |
菅茶山顕彰会 2010年10月23日 |
参加23名 記念撮影 筆の里工房 |
菅茶山顕彰会では10月22日、初めての試みとして全会員に呼びかけての日帰り研修旅行を行いました。
一行23名を乗せたバスは最初に、日本を代表する筆の産地熊野町「筆の里工房」を訪ね、特別展「陽明文庫・国宝展-近衛家1000年の至宝」を係員の説明を受けながら見学。 広島市内で昼食の後「頼山陽史跡資料館」を訪問。 |
頼山陽史跡資料館入 |
丁度、前日から開かれた開館15周年企画展「頼山陽の書風」を学芸員の案内で見学しました。 最後に三原市沼田の山中にある小早川家の菩提寺「曹洞宗 米山寺」に立ち寄りました。 |
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展示資料の説明を聞く |
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「こういう旅行なら来年もぜひやらんといけんなぁ」と話しながら暮れなずむ神辺に帰った秋の一日でした。 |
曹洞宗米山寺 山門 | 茶山詩碑「米山寺拝小早川中納言肖像」 |
No.64 |
平成22年度定期総会開催 | 丸山万里子先生 |
全会員に呼びかけ 研修旅行を企画 記念講演「はきものは人を支え 玩具は心を育む」 日本はきもの博物館・日本郷土玩具博物館 館長 丸山万里子先生 |
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平成22年度定期総会が5月15日 神辺商工文化センターで開催され、全ての議案が可決されました。今年も「茶山ポエム絵画展」にかかわる行事を中心に活動しますが、新しい試みとして全会員 に呼びかけて研修旅行を行うことになりました。内容や期日は今後の企画になりますが、秋の日帰り旅行になる予定です。 丸山万里子先生による記念講演は旧くから瀬戸内の塩づくりの地として栄えた福山市松永地区に明治時代に下駄産業が興った由来。下駄産業の歴史を後世に伝 えるために岡本太郎氏のデザインになる「日本はきもの博物館」が設立され、はき物が古今東西を問わず人々の暮らす風土や職業に最もふさわしい形として造ら れ改良されてきた様子を映像で写しながら解説されました。 二本の足で歩行する人間の歴史と発展を支え続けているはき物が今更ながらいとおしく思えるひと時でした。 |
No.63 |
第17回茶山ポエム絵画展開催 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
応募3,393点から601点が入賞 福山地方の図画教育にも貢献 |
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菅茶山顕彰会 2010年1月16日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
第17回ポエム絵画展を1月16日(火)〜2月14日(日)の間「菅茶山記念館」を会場に入選601点を展示公開しています。 このうち最優秀賞と優秀賞を受けた130作品については3月2日(火)〜7日(日)の間「ふくやま美術館」で展示の予定で、いずれも入場無料です。 この絵画展の審査委員長 縄稚輝雄先生は「東京で行われる全国児童画展の審査で福山地方の作品が注目を集めることが多い。福山では茶山ポエム絵画を教育活動に取り入れている学校も 多く、応募する児童やそれを指導される先生の力量の高まりが現れているのではないだろうか」と話されています。 |
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No.62 |
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茶山研究を深める手掛かりに有用 |
書籍「菅茶山の世界」発刊によせて 当顕彰会会員 松岡幾男氏が講評 |
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菅茶山顕彰会 平成21年12月20日 | |
広島県立歴史博物館で進められている茶山研究の成果の一部が「菅茶山の世界−黄葉夕陽文庫から」と題した書籍として菅茶山関係書籍発刊委員会から刊行されました。 これについて、菅茶山顕彰会会員である福山市在住の弁護士 松岡幾男氏が12月17日付の山陽新聞 連載記事によせられた書評を抜粋して紹介します。 「菅茶山の世界」の発刊につけ早速、通読した。既刊の文献にない記載が多く、興味津々で大いに勉強になった。ただ山陽新聞の限られた紙面に連載された原 稿が基になっているせいか、網羅的で初心者にはなじみにくいかもしれない。読者が茶山研究をさらに深める手掛かりとして、索引的に活用されれば極めて有用 と思う。 |
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備後の地には、茶山の人柄や業績を誇りとする愛好者が多く、種々研鑽を重ねてきた。「茶山詩五百首」、小説[天明の篝火」などの紹介や、菅茶山顕彰会の活動ぶり、郷土史研究家の論文などが巻末にでも紹介してあれば、もっと身近な著作となったであろう。」 |
福山城博物館ポスター |
歴史はめぐる人の縁 | No.61 |
箱田隆充・水野勝之・阿部正紘の三氏 神辺来訪 | ||
福山城博物館「箱田良助と榎本武揚」展によせて | ||
菅茶山顕彰会 平成21年10月15日 | ||
福山城博物館主催の「箱田良助と榎本武揚」展に因んで、榎本武揚の曾孫 榎本隆充氏、水野勝成の末裔 水野勝之氏、阿部正弘の末裔 阿部正紘氏が福山に来られ、平成21年10月10日に行われた講演会やパネルディスカッションなどのイベントに参加されました。 | ||
翌11日には三氏揃って武揚ゆかりの神辺を訪問され、廉塾・本陣・神辺城跡などを見学。廉塾では鵜野謙二理事の説明と、琴や茶席の接待を楽しまれました。 |
もどる↑ |
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No.60 | ||
NHK「街道てくてく旅」 | |||
山陽道 神辺宿で廉塾を訪問 | |||
菅茶山顕彰会 平成21年9月30日 | |||
NHKの人気番組「街道てくてく旅」の原田早穂さんが9月30日、廉塾へ立ち寄りました。かんなべ観光ボラ ンティアの全員を始め、聞きつけて集まった大勢が出迎える中、菅茶山顕彰会の理事であり、ボランティアガイドの一人でもある鵜野謙二理事が廉塾構内を解説 しながら案内しました。 その後、鵜野邸で名物「うづみ」をスタッフ全員に振る舞い、次の目的地井原市高屋宿に向けて出発する原田さん一行を見送りました。 |
俳句の味わいを熱心に解説される竹下陶子先生 |
No.59 |
竹下陶子先生を迎え記念講演 | |
平成21年度定期総会開催される | |
平成21年度定期総会が6月13日、神辺商工文化センターで開催されました。今年度は福山市に合併以来、知 名度が高くなっている「茶山ポエム絵画展」の充実に活動の重点を置くことが確認されました。また、役員として、新たに5名の理事を加え、会の実働態勢を強 化することなどが可決されました。 記念講演はホトトギス同人である竹下陶子先生により「俳句の味わい方とつくり方」の題で行われました。 最初に芭蕉の有名な句「古池や蛙飛びこむ水の音」を引用され「見捨てられしまった古池にも命が育まれていることを感じ取り、生きているものへの共感が読み取れる」と解説され、「四季折々の自然の |
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営みを17文字にあらわすのが俳句だが、その中には作者自身の感情、喜びや哀しみ、期待や決意などが投影されしたものでありたい」と結ばれ、日本の伝統文化の奥深さを垣間見る思いがしました。 講演は先生が講師を務められている神辺公民館俳句教室の皆さんほか多くの方が聴講され、広い会場も満席の賑わいでした。 |
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No.58 | ||||
「菅茶山顕彰の歩み」発刊なる | |||||
郷土の誇りを受けついでほしい | |||||
茶山生誕260年を記念 写真を中心に編纂 | |||||
菅茶山顕彰会 平成21年1月25日 | |||||
菅茶山顕彰会は茶山生誕260年祭記念事業のしめくくりとして、菅茶山顕彰活動の記録を集め「菅茶山顕彰の歩み」と題したA4版60nの冊子にまとめ、このほど発刊しました。 茶山をたたえ、顕彰する活動は1926年(大15年)に没100年祭として神辺の有志の会「北辰会」によって行われた記録が最も古く、その後没150 年・160年祭が神辺町内有志によってとり行われました。1987年(昭62年)菅茶山先生遺芳顕彰会が発足し、その後、会の名称を「菅茶山顕彰会」と変 更して現在に至っています。 今回発刊した「歩み」はこの間の活動を「茶山祭」「研修会・交流会」「刊行物」「茶山詩碑」「ポエム絵画展」など写真を多く入れたアルバムの形で記録に とどめ、この地をふるさととする多くの人たちに、郷土をこよなく愛し学問を広めた先人の業績を、誇りをもって受けついでいただきたい、との願いを込めて編 纂したものです。 |
No.57 |
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第16回 茶山ポエム絵画展 | |||||
入賞作品610点を展示 | ||||||
菅茶山記念館で2月15日まで | ||||||
茶山ポエム絵画展は菅茶山が地域の自然や風物を詠った漢詩の心を子どもたちに学んでもらおうと学校と連携して行っている企画で、今年で第16回を迎えます。 今年は旧神辺町内を中心に4幼稚園、8小学校、6中学校、1高等学校から合計3317点の応募があり、審査は12月1日、日展会友の縄稚輝雄さんを委員長に迎え、最優秀:9、優秀:122、入選:479点、合計610点を選考しました。 展示会初日の1月17日には入賞者の表彰式が行われ、賞状と記念品が手渡されました。 この作品の内、上位131点は4月14日から19日の日程で「ふくやま美術館 ギャラリー」で展示の予定です。 |
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茶山クイズに応募253名 全問正解100名 | No.56 |
東京・名古屋・大阪・熊本など遠来の訪問者からも多数応募 |
菅茶山顕彰会に届いた253通の解答ハガキ |
応募者全員に記念絵葉書を贈呈 |
菅茶山生誕260年の記念行事として企画した「茶山クイズ」は四問択一の20問出題で神辺町内の文化施設などに置き、9月から10月の2ヶ月間、ハガキ解答によって実施しました。(ニュースNo53号) 応募結果は次のとおり |
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菅茶山生誕260年祭 廉塾を会場に厳粛な式典を挙行 | No.55 |
道アトラクションや茶会に町内外からの参会者で終日にぎわう |
廉塾正門横には会場看板が置かれ人目を引く | 廉塾寮舎の前に設けた式典会場 |
祭文奉読 高橋孝一会長 | 道上小学校児童合唱団 「菅茶山四季の歌」 |
大勢の見学者で終日にぎわう | 講堂前庭で一服の茶を楽しむ |
No.54 |
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菅茶山生誕260年祭 11月3日開催 |
サブテーマ「菊薫るかぎり茶山の文化あり(陶子)」 | |
廉塾とその周辺を主会場に式典と記念行事 | |
今年が茶山生誕から260年にあたることから菅茶山顕彰会では11月3日(文化の日)を中心に記念行事を企画しています。(ニュースNo52・53をご覧ください)。 関連行事として菅茶山記念館で10月16日(木)から11月24日(月)まで企画展「茶掛と煎茶道具展」が開かれています。 |
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11月3日のおもな行事は次の通りです。(入場は自由・無料です) | |
1.記念式典(式典・茶山賛歌・筝曲・吟詠・舞)10:00〜11:30 2.アトラクション(11:35〜12:40) ・菅茶山四季の詩(福山市立道上小学校児童合唱団) ・合唱「神辺の四季」(女性アンサンブル フィオーリームジカリー) ・独唱「ふるさと中條」(奥野純子) ・傘踊り(みすみ会) 3.「茶山ポエム俳句」表彰式(福山市かんなべ文化振興会) 4.廉塾茶席(廉塾講堂前庭にて野点)11:00〜14:00 5.茶山ポエム絵画展(廉塾敷地内に野外展示) |
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協賛行事 1.模擬店 11:00〜15:00 (廉塾広場でうずみ・うどん・大学芋・ソフトクリームなど) 2.協賛展示 (神辺公民館絵画教室作品展・茶山を偲ぶ絵手紙展) 3.菅茶山記念館で「お茶席(煎茶)」 10:00〜15:00 4.菅茶山記念館で「茶掛と煎茶道具展」 9:00〜17:00 |
No.53 |
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「楽しい茶山クイズ」 4択で20問 |
郷土の誇り 菅茶山を幅広く問いかける記念企画 | |
9月15日から11月15日の2ヶ月間 答えは専用ハガキで | |
菅茶山顕彰会では「菅茶山生誕260年祭」の記念企画として市民の皆様に菅茶山について、より幅広く知っていただく目的で「楽しい茶山クイズ」をつくりました。問題は難易とりまぜて20問、すべて4択形式です。 | |
問題と解答ハガキは期間中次の場所に置いてあります。(無料) 神辺文化会館 菅茶山記念館 神辺公民館 神辺歴史民俗資料館 廉塾案内詰所(廉塾広場向い) 応募の期間・方法は次のとおりです。 期 間:9月15日(月)〜11月15日(土)の2ヶ月間 応 募:解答ハガキを廉塾詰所の郵便受け」に入れる または「50円切手を貼って郵便ポストに投函」する 期間が終わった後、応募者全員に正解票と記念品をお届けします。 |
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用紙や応募はすべて無料ですが郵送の場合のみ50円切手を貼ってください |
No.52 |
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菅茶山生誕260年祭記念講演会 |
演 題 「若き日の茶山詩について」 | |
神辺文化会館小ホール 10月11日(土)13時30分開演 | |
菅茶山顕彰会では「菅茶山生誕260年祭」の記念行事として福山市かんなべ文化振興会との共催事業として講演会を開催します。 | |
演 題 : 若き日の茶山詩について 講演者 : 西原千代(広島大学大学院研究科) 日 時 : 10月11日(土)13:30〜15:00(開場13:00) 場 所 : 福山市神辺文化会館 小ホール |
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お礼 : 大勢のご聴講をいただきありがとうございまいた | |
西原先生は安田女子大学大学院で日本文学博士課程を専攻、現在は広島大学大学院で研修中の茶山研究者で、これまでに23件の茶山研究論文を発表されています。 当顕彰会では平成18年度の定期総会で「菅茶山子どもを詠う詩」の講演をいただき、これまであまり知ることのなかった茶山の生き方について聞くことができ、深い感銘を受けたものです。 |
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関連ニュース No43、No50 をご覧ください |
No.51 |
福山市教育委員会学芸員 園尾 裕 先生 |
平成20年度定期総会開催 |
記念講演「菅茶山と福山藩」 | |
福山市教育委員会学芸員 園尾 裕 先生 | |
菅茶山顕彰会 2008年5月9日 | |
平成20年度定期総会が5月9日、神辺商工文化センターで開催されました。今年は茶山生誕260年にあたり、11月3日に廉塾敷地内に主会場をおいた記念祭を挙行するなど一連の行事計画が採択されました。 園尾裕先生による「菅茶山と福山藩」と題する記念講演は初代阿部正邦から数えて4・5・6代にあたる茶山が仕えた正倫、正精、正寧の3代を中心に、寛延 元年(1748)茶山生誕から没年文政10年(1827年)の後までの詳細な茶山年譜を元に交友関係や福山藩家老職などとの交流をつぶさに解説されまし た。 正倫が「当代隋一の詩家は、と訊ねて…」という有名な話がありますが江戸詰めの藩主が国許の事情を知り得なかった事の一端を伺わせる話題もありまし た。 |
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No.50 |
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「菅茶山の政治批判詩」について |
安田女子大学大学院博士課程 西原千代さん | |
同学研究誌「中國學論集」に茶山研究の連載発表 | |
菅茶山顕彰会 2008年3月23日 | |
安田女子大学大学院博士課程で茶山詩の研究を続けている西原千代さん(ニュースNo43参照)が同学「中國文學研究会」発行の「中國學論集」に研究論文を連載発表されています。 第46号では「菅茶山の政治批判詩」の表題で、過酷な搾取や度重なる飢饉にも関わらず厳しい搾取の手を緩めることのない福山藩主に対する激しい憤りや、農民への慈愛のまなざしでとらえた藩政批判の詩が紹介・解説されています。 |
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幕政や藩政批判の詩は「黄葉夕陽村舎詩」のうち、茶山30歳半ば以前の作品を収録している巻一・巻二に多く見られます。 茶山の生きた時代、阿部家が福山藩主として君臨しましたが、藩主は江戸幕府の要職を務め、家臣の多くも江戸詰めの暮らしであり、江戸での出費は常軌を逸 するものであり、それは全て領民からの収奪に等しい取立てでまかなわれていました。また、これらの批判詩が詠まれた当時、1748年頃から天明の一揆に至 る1787年頃にかけては風水害・旱魃・冷害・疫病などが絶えることなく続いた過酷な時代でした。 茶山は身の回りの風物を詠んで「当代隋一」と評された漢詩人ですが、それは当時の漢詩が中国唐時代の作風を模すをよしとした中にあって、「詩は実事を述 べ、実際をあるがままに写し、自分の性情を詠うもの、すなわち真詩」との詩論に基づいて、暮らしの実際を絵画的に写しながら、鋭い観察眼でものの本質を感 じ取っていく作風にあったといえます。 例えば「御領山大石歌」では八丈岩と呼ばれている山の大石に語りかける調子で時勢を慨嘆する内容であり、身の回りを写す手法をもって体制への批判を的確に描写した茶山の正義感が吐露された作品といえます。 茶山の詩論については同誌第47号に詳しく述べられています。 (この記事は「中國學論集」第46・47号に掲載された西原千代さんの論文をもとにして編集しました) |
No.49 |
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第15回茶山ポエム絵画展始まる | |||||||
3,376点の応募から入賞の609点を公開展示 | ||||||||
茶山が詠んだ風物をイメージ画で個性豊かに表現 | ||||||||
2008年1月19日 茶山ポエム絵画展実行委員会 | ||||||||
第15回茶山ポエム絵画展が2008年1月19日〜2月17日まで菅茶山記念館で公開展示されています。公 開の初日には表彰式が行われ、日展会友で審査委員長の縄稚輝雄先生から「詩をもとにしてイメージを描く活動は全国でも珍しいし、画材の選択や表現の工夫な ど児童画としてのレベルも非常に優れています」との講評をいただきました。 また、3月4日(火)〜9日(日)の1週間「ふくやま美術館」で上位入賞の139点を公開展示します。いずれも入場は無料です。 |
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平成19年度 茶山祭 盛大に行われる | No.48 |
道上小学校合唱団廉塾講堂前で「茶山賛歌」を披露 | 菅茶山顕彰会 2007年11月3日 |
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菅茶山顕彰会の恒例行事「茶山祭」が今年も盛大に挙行されました。 茶山墓所での墓前祭は孔子を祀る儀式に準じる様式で厳粛にとり行われ、菅茶山記念館学芸員による墓碑の解説に耳を傾けました。 廉塾では玄関・講堂が開かれた前庭で道上小学校児童30名による合唱が披露され、竹縁では岡田師範親子の琴演奏のもと、抹茶の接待に参会者はしばし時を忘れて興じました。 広場では地元、七日市上自治会による郷土料理「うずみ」が振舞われ、数量限定とあって長蛇の列ができました。午後2時半の「二上がり踊り」を最後に500人を越える来訪者で賑わったイベントを終わりました。 |
平成19年度定期総会開催される | No.47 |
記念講演 「菅茶山の頃」 藤井登美子先生 | |
天明から文化文政の厳しい時代とその背景を解説 | 菅茶山顕彰会 2007年6月2日 |
「菅茶山の頃」講演の藤井登美子先生 |
平成19年度(2007年度)定期総会が6月2日、神辺商工文化センターで開催され、11月3日の第6回茶山祭開催、茶山ポエム絵画展の活動計画などが提案承認されました。 藤井登美子先生による「菅茶山の頃」と題した記念講演は著作「天明の篝火」や「北僻に立つ」などで描いた、年貢取立てに狂奔する権力と生きる意欲さえも 奪われてしまう民衆との間に立って苦悩する心ある人たちの姿を題材に、山間の県北と沿岸部との地域格差、貧富の差が拡大して行った様子を豊富な考証資料を もとに解説されました。時代小説は現代を反映したものといわれるように、茶山が生きた格差拡大の時代と、平成の今日が重ね合わされ、考えさせられることの 多い内容でした。 |
No.46 |
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備後天明の一揆物語 |
「天明の篝火」 藤井登美子著 好評発売 | |
備後 ふるさと激動の時代を綴った感動の歴史小説 | |
菅茶山顕彰会 2007年2月1日 | |
中近世文学大賞作家の藤井登美子氏(福山市在住)の歴史小説「天明の篝火」(てんめいのかがりび)がこのほどアスコン出版から刊行されました。 この小説は江戸時代中期1786〜87年、備後福山藩で起きた天明の一揆を舞台にしたものです。何年にもわたる大凶作にもかかわらず他藩に倍する過酷な 取立てを繰り返す福山藩に対し、長い忍従の末、命を賭して立ち上がった四万の農民を勝利に導いた徳田村の庄屋「徳永徳右衛門」たちを、義倉の創始者「河相 周兵衛」や「菅茶山」らが支えながら、苦悩の中に勝利に導く物語を郷土色豊かに繰り広げる感動の名編です。 なお、題字「天明の篝火」の揮毫は資料収集や校正に関わった本会会長 高橋孝一氏によるものです。 現在、広島県内の書店で好評発売中です。ぜひご一読ください。 |
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No.45 |
茶山記念館で行われた審査の様子 |
茶山ポエム絵画作品審査会 | ||
第14回作品展に向け3096点の応募 | |||
菅茶山顕彰会 2006年12月13日 | |||
12月13日 菅茶山記念館において第14回茶山ポエム絵画作品の審査会が開かれました。今年は福山市に合併したこともあり応募校も増え、3096点の応募があり、慎重な審査を経て最優秀賞9点、優秀賞121点と470点の入選作品を選定しました。 入選作品は菅茶山記念館で1月18日(土)に表彰式が行われ、2月18日(日)まで展示公開、また、最優秀・優秀作品は3月6日(火)から11日(日)までふくやま美術館で展示される予定です。 |
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No.44 | ||||
柴野栗山200年祭へ 茶山顕彰会から14名列席 |
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栗山顕彰会との交流を深める | ||||
菅茶山顕彰会 2006年12月1日 | ||||
高松市牟礼町の柴野栗山顕彰会では毎年12月1日に栗山祭を行っていますが今年は栗山200年祭として香川県知事、高松市長などを迎え、記念式典や記念碑の除幕など盛大な行事が行われました。 柴野栗山(しばのりつざん)は茶山と同時代を生きた儒学者で11代将軍家斉の政治顧問となり「寛政の改革」など江戸幕府の政治に深くかかわった人物として有名です。 菅茶山顕彰会では茶山が栗山と親交が厚かったことから、栗山顕彰会と交流しており、今回も来賓として招待を受け、理事14名が列席したものです。9時から始まった式典は神式で行われ、当顕彰会を代表して高橋孝一会長が拝礼しました。 帰りには「石のミュージアム」や「平賀源内記念館」などを見学し有意義な一日を過ごしました。 |
平成18年度定期総会開催 | No.43 |
記念講演「菅茶山 子どもを詠う詩」 | 安田女子大学 西原千代先生 |
古里神辺をこよなく愛した茶山の生き様に感銘 | 菅茶山顕彰会 2005年5月20日 |
安田女子大学大学院博士後期課程 西原千代先生 |
平成18年度総会が5月20日、神辺商工文化センターで開かれました。正面に茶山先生の肖像を掲げた会場で は、高橋孝一会長の挨拶の中、茶山先生を偲んで一同黙礼し開会しました。今年は福山市合併初年度ですが当会の事業運営に大きな変化はなく、茶山祭の開催、 ポエム絵画展事業などが承認されました。 記念講演は安田女子大学大学院博士課程で茶山詩を研究されている西原千代先生の「菅茶山 子どもを詠う詩」の題で行われました。 黄葉夕陽村舎を34歳で興した茶山の願いが、 |
メモをとりながら熱心に講演を聴く会員の皆さん |
郷土神辺を深く愛し、子どもたちを含めた後進に学問・文化の発展を託そうとしたところにあったこと。この想 いが、移り行く四季の暮らしの中に遊ぶ子どもたちの姿をありのままに暖かく捉えた多くの詩から読み取ることが出来る。年を重ねるにつれ、自分自身も子ども の世界に入り込んで詠った。数多くの作品を引用しながらの解説は当代随一と評された茶山の真髄に迫る興味深い講話でした。 |
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No.42 | ||||
松風館十勝碑林を建立 | |||||
茶山詩碑など16基を除幕 | |||||
菅茶山顕彰会 2006年2月2日 | |||||
江戸時代の後期、備後中条村山田谷(現神辺町西中条山田)の豪商河相君推(かわいくんすい)は、その広大な 邸宅に回遊池や茶室などを設け「松風館」(しょうふうかん)と名づけました。茶山は黄葉夕陽村舎を訪れる天下の有名人士を伴い、しばしば松風館を訪れ、君 推もこれによく応え、茶会を催すなど心から歓待しました。こうして茶山の活躍を支えた一人として大きな功績があったとされています。 松風館の随所には訪れた文人の命名揮毫による「紅於径」(こうおけい)「鳴玉橋」(めいぎょくきょう)などの石碑が建ち並び、十勝と称されていました。 時代が移り、これらの石碑は散逸し「松風館」も忘れられていきました。 こうした中、君推の功績を残そうと、跡地を所有する武田武美氏(当顕彰会理事)や茶山顕彰会役員など有志の協力によって、跡地の一部に松風館関係碑3 基、十勝記念碑10基、茶山および頼春水詩碑3基、全16基が建立され、中国の「西安碑林」や「曲阜碑林」に倣って、この記念碑庭園を「松風館十勝碑林」 と名づけ、後世に伝えようとするものです。 |
No.41 |
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茶山詩を絵画に表現 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第13回茶山ポエム絵画展開催 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
菅茶山顕彰会 2006年1月21日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
茶山詩のイメージをを子どもたちに伝えようと始まった「茶山ポエム絵画展」が今年で13回を迎えました。 神辺町内や近隣の幼稚園から高校生まで3086点の応募があり、そのうち最優秀、優秀などの受賞作品430点が菅茶山記念館に展示され、表彰式が行われ ました。この作品展は2月12日(日)まで同館で行われ、その後、最優秀と優秀賞の受賞作品130点が2月28日(火)〜3月5日(日)まで「ふくやま美 術館」で展示公開されます。 |
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No.40 |
第4回茶山祭盛大に挙行される | ||||
儒式に則った墓前祭で始まる | ||||
菅茶山顕彰会 2005年11月3日 | ||||
2005(平成17)年11月3日文化の日に第4回茶山祭が開催されされました。 最初に神辺町川北の網付谷にある茶山墓地において大勢の参列者の見守る中、儒式に則った墓前祭がしめやかに執り行われ、高橋孝一会長による献茶・祭文奉読に続いて参会者全員が献花し、錦城流有志による詩吟「宿生田」が朗詠されました。 この後、会場を廉塾に移し、茶会が催され琴演奏、詩吟朗詠などが披露されました。 また、正門付近では地元七日市上町内会の肝いりで郷土料理「うずみ」がふるまわれ、特設舞台では神辺高等学校吹奏楽部の演奏や恒例の「傘おどり」などが披露され今年も終日賑わいました。 |
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「備後国福山領風俗問状答」 現代語訳版完成 | No.39 |
製本を確認する編集委員 中国新聞5月31日掲載写真を転載 |
新聞紙上にも紹介され反響大 |
菅茶山顕彰会 2005年6月1日 | |
ニュースNo30で紹介した「備後国…」の現代語訳版がこのほど完成、発刊の運びとなり各方面から問い合わ せが続いています。本書原本は江戸幕府の漢学者「屋代弘賢」から備後藩内一円に伝わる風俗・習慣について問い合わせがあり、福山藩主阿部正精の命を受けた 茶山が129項について調査・記録し1819年茶山72歳の時に藩主に提出したものです。 内容は元旦の行事に始まり、年間の諸行事や慣わしなどが網羅され、今に伝わるもの、すでに歴史の彼方に消え去ったことなどを挿絵や適切な注釈を置いてわかり易く構成したものです。 布表紙装丁のA5版、174ページで1000部作成し当顕彰会員ほか各方面に頒布しています。 |
本会の名称を「菅茶山顕彰会」と改定 | No.38 |
平成17年度総会において規約改 | 菅茶山顕彰会 2005年4月25日 |
義倉創設者河相周兵衛と 茶山について語る河相典男氏 |
4月23日、平成17年度総会が神辺町商工文化センターで開催されました。その中で本会の正式名称を改定す る旨の議案が上程され、可決されました。近年、当会の活動が活発化し、広く知られるようになったことなどから、規約に示す正式名称「菅茶山先生遺芳顕彰 会」から「菅茶山顕彰会」に改定したものです。 また、今年は役員改選期にあたり、高橋孝一会長、理事・役員が再任され、活動が始まりました。 記念講演は「財団法人 義倉」会長の河相典男氏による「茶山と河相周兵衛」と題した講話で、天明の一揆が起きるなど困窮した農民を救済する組織として創設された「福府義倉」の名付けや設立・運営に多大な貢献をした茶山の業績などを話されました。 (ニュースNo2 参照) |
春の廉塾は花盛り | No.37 |
七日市上町内会のボランティア活動で | |
菅茶山遺芳顕彰会 2005年4月13日 | |
このところの陽気で廉塾の柳も若葉が芽吹いてきました。正門から中門までの菜園では左側にチューリップ、パンジー、芝桜などがあでやかに咲き競っています。右側の畑ではタマネギが育ち、ジャガイモの芽も出始めています。 この菜園はかつて廉塾に学ぶ塾生たちが自給の野菜づくりをした場所といわれています。 そのいわれを引き継いで地元、七日市上町内会では鵜野謙二町内会長を中心に菜園の手入れに余念のない毎日です。 |
廉塾、昔ながらの姿 | No.36 |
広島県神辺の住民らが竹垣 | 広島県神辺町出身の儒学者、菅茶山ゆかりの廉塾に地元の同町七日市上町内会の人たちが十二日、これまでの金網フェンスに替えて竹垣を設置した。廉塾は昔ながらの姿に一歩近づいた。 廉塾南にある広場の東側で、竹垣の長さは約十二メートル。近くの竹やぶから切り出した竹を、あらかじめ有志が組み立てておいた。しっかりと固定したくいの間にはめこみ、約一時間で完成した。 鵜野謙二会長は「不似合いだったフェンスから竹垣になって、さらに落ち着いた雰囲気になった」と満足そうに見ていた。敷地南側などの痛みの激しい竹垣も順次改修していく。 同町内会では四年前から毎月第二土曜日をボランティアの日として、廉塾の手入れを続けている。 (この記事は中国新聞地域ニュースweb版からの転載です) |
中国新聞地域ニュース ’05/2/13 | |
真新しい竹垣を設置する町内会の皆さん |
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No.35 |
第12回茶山ポエム絵画展始まる | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
応募3187点から入賞431点を展示 | 神辺町内を始め、福山、井原、神石高原町などから寄せられた3187点の応募作品のうち入賞431点の公開展示が1月22日〜2月13日の間、菅茶山記念館で始まりました。初日に行われた表彰式では最優秀賞を受けた竹尋小学校3年 迫田勇樹君が「茶山の詩を絵に描いてみて、茶山先生をとても身近に感じました」と感想を述べました。このうち、優秀賞受賞の130点は3月8日から1週間「ふくやま美術館」で展示されます。
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3月8日〜13日には「ふくやま美術館展」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
菅茶山遺芳顕彰会 2005年1月23日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
栗山祭へ代表8名が列席 | No.34 |
柴野栗山顕彰会との交流を深める | 栗山記念館前庭で記念撮影 後ろは五剣山 |
菅茶山遺芳顕彰会 2004年12月1日 | |
香川県牟礼町の柴野栗山顕彰会から、毎年12月1日に行われる「栗山祭」へ来賓として招待を受け、理事8名が列席しました。 寛政の三博士といわれた儒学者、柴野栗山(しばのりつざん)は茶山とも親交が厚かったことから今回の交流が実現したものです。神式で行われた式典では茶山顕彰会を代表して高橋会長が拝礼しました。 帰りには「石の民俗資料館」や「香川県歴史博物館」などを見学し、瀬戸内の暖かく穏やかな日差しを満喫し、有意義な1日を過ごしました。 |
句碑の前に立つ竹下陶子さん(左)と三宅 薫さん |
No.33 |
菊薫る かぎり 茶山の 文化あり | |
菅茶山記念館に句碑建立される | |
菅茶山遺芳顕彰会 2004年9月17日 | |
神辺町 菅茶山記念館の入り口にある「茶山坐像」に並んで「句碑」が建てられ、11月11日に除幕されました。 「菊薫る かぎり 茶山の 文化あり」、この句は茶山生誕250年祭の式典において、福山文化連盟副会長でホトトギス同人の竹下陶子(たけしたとうし)先生が献句されたものです。 今回、笹鳴会(ささなきかい)の三宅 薫さんと会友の皆さんによって建立のはこびとなったものです。 |
秋空のもと「茶山祭」賑わう | No.32 |
地元町内会と連携して | 廉塾講堂の前庭では抹茶が振舞われました |
11月3日文化の日の恒例行事に | |
菅茶山遺芳顕彰会 2004年11月3日 | |
神辺町川北にある国の特別史跡「廉塾」とその周辺を会場に「茶山祭」が開かれました。 これまで行ってきた「廉塾茶会」「茶山ポエム祭り」などの諸行事を今年から「茶山祭」として一本にしたものです。 祭りは顕彰会役員による墓参に始まり、廉塾前庭での茶会、琴演奏、茶山詩吟詠などと共に地元、七日市上町内会の協賛による模擬店で会場は終日賑わいました。 茶山祭は毎年11月3日に行う予定です。 |
No.31 |
茶山詩碑24基めになった 「上人好事」の除幕法要 |
備後国分寺に茶山詩碑建立 |
茶山ポエム「花と和尚さん」の原詩 | |
如実上人200回忌にあたり寄進 | |
菅茶山遺芳顕彰会 2004年9月17日 | |
神辺町備後国分寺の庭園に同寺にゆかりの詩碑が建立されました。寄進者は同檀家で茶山ポエム絵画展の代表をつとめる岩川千年さん。 この詩碑は当時、国分寺中興第4代如実上人と親交のあった菅茶山と西山拙斎が上人に贈った連歌「上人好事」の書軸を写したもの。 花好きの和尚さんは境 内を花いっぱいにするためにお布施をあつめにでかけます、という意味のこの詩は「花と和尚さん」の詩題で茶山ポエム絵画をとおして子どもたちに紹介されて おり、碑の裏面にはその経緯などが記載されています。 |
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茶山の風俗書 | No.30 |
「備後國福山領風俗問状答」 | 朝日新聞に掲載された翻訳作業の紹介 |
顕彰会が現代語訳に取り組む | |
菅茶山遺芳顕彰会 2004年8月5日 | |
当顕彰会では茶山の風俗書「備後國福山領風俗問状答」(びんごのくにふくやまりょうふうぞくといじょうこたえ)の現代語訳に取り組んでいます。 この本は19世紀前半に福山藩の命を受けた茶山が領内の庶民に伝わる祭事や風習など130項目を挿絵をまじえながら1月〜12月の月別にまとめた興味ある作品です。 同書の原稿本や原本をそのまま活字に置き換えた書物はありますが、現代語版はこれまで出版されていません。福山地方の文化や茶山の功績を広く紹介する作業に期待が集まっています。 |
No.29 |
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表紙(上) 本文(右) 「菅茶山の 面影を訪ねて」 |
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No.28 |
顕居館跡に立って黄葉山を見上げる参加者 中央は解説する佐藤助教授 |
「神辺城なごりめぐり」探訪 |
町の中を折れ曲がって流れる水路… | |
新しい観光資源の開拓に向けて | |
菅茶山遺芳顕彰会 2004年6月18日 | |
平成15年度総会での記念講演「神辺城の頃」(岡山商科大学助教授 佐藤昭嗣先生)は当顕彰会によって冊子として出版され、好評を博しています。(ニュースNo16・23参照) これを機縁に、中世神辺城下の名残りを巡る新たな観光コースがつくれないものかと、同助教授の案内で、折れ曲がって流れる水路、掘割りや屋敷群跡と見ら れる路地裏などを探訪する会が行われました。「地割の様子から推定すると黄葉山下には広大な居館がひろがっていたようです。」との説明に参加者一同は 400年前の城下町に思いをはせていました。 |
神辺町文化会館で行われた記念式典 |
No.27 |
教育文化の振興に寄与 | |
菅茶山遺芳顕彰会に感謝状 | |
神辺町合併50周年記念式で | |
菅茶山遺芳顕彰会 2004年5月30日 | |
7神辺町が今年、1954年(昭和29年)旧神辺町と御野、竹尋、湯田、中条、道上の5村合併から50年を迎えたことを記念して、5月30日「神辺町合併50周年記念式典」が町文化会館で行われました。 式典ではこの50年の間に町づくりに功績のあった個人や団体に対し、表彰と感謝状の贈呈が行われました。教育文化の振興の部門で「菅茶山遺芳顕彰会」と「茶山ポエム絵画展実行委員会」に感謝状が授与され、高橋孝一会長に手渡されました。 |
平成16年度定期総会開催される | No.26 | |
今西副会長辞任し井上理事、副会長に就任 | 福山文化連盟会長 平井隆夫氏 |
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記念講演 「古文書に見る中世備南」 | ||
講 師 福山文化連盟会長 平井隆夫氏 | ||
菅茶山遺芳顕彰会2004年5月23日 | ||
今西 昭 前副会長 |
井上謙二 新副会長 |
平成16年度菅茶山遺芳顕彰会度総会が5月23日、神辺町商工文化センターで開催されました。 今年の総会では長年にわたり本会の運営に多大の功績を残された今西 昭副会長が辞任され、井上謙二理事が新副会長として就任されました。今西副会長は「菅茶山先生の顕彰に親子2代に亘ってかかわることができた幸せをかみ締 めています。」と辞任の挨拶を述べ、会員からの大きな拍手を受けられました。また、井上新副会長は「出版事業など顕彰会ならではの事業に力を注ぎたい。」 との挨拶がありました。 また、平井隆夫氏の「古文書に見る中世備南」と題した記念講演は福山地方に残る諸資料についてスライドを使っての解説でしたが、前段として歴史的事実と伝説は厳然と区別してかからねば正しい考証にはなり得ないなど、基本的姿勢を説かれた興味深いお話しでした。 |
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第11回茶山ポエム絵画 | No.25 |
ふくやま美術館展 | 縄稚輝雄先生の解説で作品を鑑賞する来場者 |
今年度の優秀作品132点を展示 | |
茶山ポエム絵画展実行委員会 2004年3月9日 | |
茶山詩の現代訳「茶山ポエム」からイメージした「茶山ポエム絵画展」は今年で11回を迎え、その中の優秀作品132点が3月9日から14日まで「ふくやま美術館」で公開されました。 期間中1000人を越える来場者は「蝶」「ホタル」「雪の日」など茶山詩の世界を自分なりに表現したイメージ画の数々に眼を楽しませました。 審査委員長の縄稚輝雄先生は「江戸時代の漢詩人が眺めた風物を、現在の子どもたちがここに再現しています。こんなすばらしい活動は日本中探しても他には無いのではないでしょうか。」と話されていました。 |
両親や先生の見守る中で 表彰状を受け取りました 展示を観る受賞者や家族の皆さん |
No.24 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
茶山ポエム絵画展 第11回表彰式行われる |
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応募数3004点は過去最多 菅茶山記念館展の後ふくやま美術館で展示の予定 |
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茶山ポエム絵画展実行委員会 2004年1月17日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
茶山ポエム絵画の今年度作品の表彰式が1月17日、菅茶山記念館で行われました。 茶山ポエム絵画の作品募集は今年で11回を迎え、幼稚園・小・中・高の各学校から、神辺町内だけでなく福山市や岡山県井原市からも作品が寄せられるなど回を重ねるごとに広く知られるようになりました。 応募数は過去最高の3004点で、この中632点を入選作品とし、その中から優秀賞130点、最優秀賞9点、特別奨励賞4点を選出し公開展示され、表彰式を迎えました。
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記念講演「神辺城の頃」出版なる | No.23 |
中世神辺の宿はどのように造られ変遷したのか | (関連ニュースNo16) |
岡山商科大学助教授 佐藤昭嗣氏の講演より | |
「備後の拠点都市を探る」とのサブタイトルの付いた本書は平成15年度茶山顕彰会総会での記念講演「神辺城の頃」を出版したものです。 講演者佐藤昭嗣氏は広島県立歴史博物館主任学芸員を経て現在岡山商大助教授として教鞭をとる神辺町川南に在住の歴史学者です。 神辺の歴史は古墳や遺跡群、国分寺など古代については発掘調査などでかなり検証されていますが、神辺城やその城下町のあった中世神辺については資料的にも乏しいのが実態です。 |
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今回の講演はこの空白の時代に科学的手法でスポットを当てた画期的な研究の発表です。 中世、山城の頃、神辺の町並みはどのような形だったのか。高屋川の流れの変遷、その流れを取り込んで町なかを今も流れる折れ曲がった用水路の意味するも の。地域一帯の緩やかな起伏に着目し、黄葉山の北側にひろがる武家屋敷群と商家の家並みが共に拓け、やがて江戸時代へとつながって行く姿を解明する内容と なっています |
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本書は茶山顕彰会員への配布や関係方面への寄贈分の外、1部 300円で頒布しています |
菅茶山生誕255年祭 | No.21 | |||
錦秋の一日盛大に挙行される |
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菅茶山遺芳顕彰会 2003年10月18日 | ||||
「いま煌く茶山と歴史街道神辺宿」のテーマで菅茶山生誕255年が盛大に挙行されました。 神辺町文化会館で行われた記念式典では祭文奉読、茶山詩吟詠、講話の後第2部では地域で音楽活動を続けている奥野純子さんの声楽や地元小学生やコーラスグループによる合唱など、いずれも現代語訳した茶山詩に曲付けした歌唱を披露しました。 廉塾では講堂前の庭を開放し野点がふるまわれ、竹縁の名で有名な講堂濡れ縁には緋毛氈が敷かれ奏でる琴の響きが来訪者を魅了しました。 町筋では模擬店や旧跡探訪ラリー、茶山ポエム絵画展など、大人も子供も楽しめる華やかで多彩なイベントに町内外から訪れる人はひきもきらず、華やかな一日となりました。 |
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神辺小学校5年生全員の合唱 「茶山ポエムの歌」 |
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No.20 |
「菅茶山ゆかりの地…」 記念絵はがき 完成 |
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菅茶山遺芳顕彰会 2003年8月10日 | ||||||||||||||||||||||||
菅茶山遺芳顕彰会では今年が菅茶山生誕255年にあたることから記念事業の一環として「菅茶山ゆかりの地…」と題した絵はがきセットを作成し、このほど神辺来訪の皆様にお求めいただけるようになりました。 セットは、廉塾を中心に、茶山墓地、神辺本陣、菅茶山記念館を収めた7枚組です。
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顕彰のことばに添えて助成金を渡す河合典男理事長 |
No.19 |
義倉財団より助成 | |
ポエム絵画展の活動に | |
菅茶山遺芳顕彰会 2003年7月5日 | |
7月5日、財団法人義倉において助成金の贈呈式が行われ、河合典男理事長から高橋孝一会長、鵜野謙二理事に手渡されました。 今回の助成はポエム絵画展に対し教育部門の活動としての実績が認められたものです。 「義倉」は200年前、難民救済事業団として始まり、設立にあたっては菅茶山の働きがあったと記録されており、創立の精神は今日まで引き継がれ、地域の文化・教育活動の発展に大きな貢献を続けています。(ニュース No2 をご覧ください) |
写真クリックで案内板拡大 表通りから眺める廉塾、地元町内会の尽力で 菜園も整備されました |
No.18 |
廉塾説明案内板できる | |
菅波信道一代記より 「廉塾にて講釈の図」を掲載 |
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神辺町観光協会 2003年5月31日 | |
神辺町観光協会の尽力により廉塾の由来などを簡潔に表記し、当時の神辺本陣当主菅波信道が書き残した挿絵の入った説明案内板が設置されました。これまでボランティアによる解説がないとわからなかった廉塾の概要が一見してわかるようになりました。 これを設置した神辺町観光協会の高橋孝一会長(菅茶山顕彰会会長)は「懸案の説明板ができました。表通りからすぐに見えるので遠来の皆様にも喜んでいただけるでしょう」と話していました。 |
No.17 |
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No.16 |
講演中の佐藤昭嗣先生 | 平成15年度定期総会開催される | |
生誕255年祭の態勢を確認 | ||
記念講演「神辺城の頃」岡山商大助教授佐藤昭嗣氏 | ||
菅茶山遺芳顕彰会定期総会が4月19日、神辺町商工文化センターで開催され、茶山生誕255年祭とその関連事業などが提案、可決されました。 255年祭式典は10月18日(土)神辺町文化会館で行われ、図書「筆のすさび」絵葉書「菅茶山」が発行される予定です。 |
開会挨拶をする 高橋孝一会長 |
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岡山商科大学助教授佐藤昭嗣先生による「神辺城の頃」と題した記念講演は、中世の山城「神辺城」のふもとに展開した当時の町並みや地割がどんなものであったか、それがどのように変化しながら現在につながっているのかを考古学的に解明する、謎解きにも似た興味深い話でした。 |
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No.15 |
菅茶山記念館の前庭に植樹する 顕彰会役員 |
楷樹(かいのき)を植樹 |
菅茶山記念館の前庭と廉塾菜園に 菅茶山遺芳顕彰会が寄贈 |
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2003年4月14日 | |
楷(かい)の木は学名「とねりばはぜのき」と呼ばれるうるし科の植物で秋の燃えるような紅葉は見事です。枝 や葉が整然としているので「楷書」(かいしょ)の語源となったとも伝えられ中国では孔子の墓所に植えられるなど、古来より孔子とは切り離すことのできない 名木として珍重されてきた歴史があります。 日本には大正初期に中国から移入され、湯島聖堂など儒学に関係深い場所に植えられました。西日本では岡山の「閑谷黌」(しずたにこう)の巨木が有名です。 今回の植樹は菅茶山と交友の深かった四国の柴野栗山(しばのりつざん)を顕彰する「栗山顕彰会」を交流訪問したことが縁となって、当顕彰会常務理事 松浦正明氏(写真右)が四国から苗木を入手、菅茶山を顕彰するにふさわしい場所に植えたものです。 |
12月8日(日)10:00〜19:00 | 画像クリックで別ページへ |
No.14 |
NHK衛星BS2で | ||
「おーいニッポン広島発」が 放映されました。 |
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そのためのビデオ撮りが10月2日(水)、廉塾正門などを背景にして行われました。廉塾正門を背景にして菅茶山遺芳顕彰会の高橋孝一会長は作務衣着用でカメラに収まりました。 この日収録されたビデオは七日市町内会の皆さんの「二上り踊り」、神辺商工会青年部の「赤鬼・青鬼」、JA神辺・女性部の皆さんです。 |
初公開の中庭で行われたオープニングセレモニー |
No.13 | |
「神辺本陣 動く夢シアタ」 | ||
音楽と文化のイベント盛会の10日間 | ||
菅茶山遺芳顕彰会 2002年10月30日 | ||
江戸時代に参勤交代の大名が泊まった神辺本陣を開放して10日間、昼夜にわたる日替わりプログラムが菅茶山遺芳顕彰会の主催行事として繰りひろげられました。 勇壮な和太鼓の演奏で幕を開け、多くの歴史ファンが訪れました。 日ごろは見ることのできない藩主の寝所や居所が公開され、顕彰会のボランティアの解説に遠来の訪問者が熱心に耳を傾け、夜は燭台のほのかな光の中で文化講演会が行われ、聴衆を魅了しました。 |
来訪者に寝所の解説をする今西副会長 |
幻想的な光の中で聴衆は魅了される |
No.12 | |
「廉塾がこんなに賑わった のは初めてじゃ!!」 |
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廉塾ポエムまつり さわやかな秋晴れの下で盛り上がる |
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菅茶山遺芳顕彰会 2002年10月14日 | |
子どもたちが茶山にしたしみ、詩のイメージを絵に描きあらわす「茶山ポエム絵画」の活動が今年で10年を迎えました。 これを記念して地元、神辺七日市町内会や子ども育成会の協力を得て「廉塾ポエム祭り」が盛大におこなわれました。 |
広場正面のステージでは神辺町少年少女合唱団が「茶山ポエムの歌」を初披露ましした。 旧山陽道であった町並み周辺では小学6年生が説明役をつとめる「史跡ウォークラリー」が行われ、日ごろ知ることの出来ないふるさとの歴史を感じとったようでした。 地元のお年寄りは「廉塾がこんなに賑わったのは初めてじゃ」と笑顔で話していました。 |
菅茶山記念館で取材中の大西教授 |
No.11 |
地域ぐるみの古典鑑賞教育を実践 | |
「茶山ポエム絵画展」の活動を学会誌に発表 安田女子大学 大西道雄 教授 |
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安田女子大学 日本文学科 大西道雄教授が「茶山ポエム絵画展」の教育的な価値に関心を寄せられ、菅茶山記念館などで取材、日本国語学会の機関紙である「月刊国語教育研究」No363号に「〜茶山ポエム絵画と地方国語教育実践と〜」と題して発表されました。 その要旨は「菅茶山遺芳顕彰会の活動の一環として茶山詩を地域の子どもたちに伝えるため、詩によって喚起されたイメージを絵画化させる運動が展開されている。地域の学校では図工や美術の授業や総合的な学習の時間に位置づけるなど取り組まれており、地域ぐるみの古典鑑賞教育の実践ともいえる…」などと高く評価されています。 大西教授は「コミュニケーション作文の技術と指導」(明治図書)など多くの専門書を著作されており、また、「月刊国語教育研究」は書店販売はされていませんが、幼稚園から大学まで、国語教育に携わる教職員の専門誌として広く活用されています。 |
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No.10 | |
熊野筆「菅茶山」できる 神辺訪問の記念にお求め下さい |
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広島県熊野町は全国の筆生産の9割を数える産地で「熊野筆」として有名です。 菅茶山遺芳顕彰会では「菅茶山」と銘した熊野筆3本組セットをつくりました。神辺訪問の記念グッズとしてご利用ください。
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No.9 | ||||
廉塾解説ボランティア 訪問の皆様へ廉塾の説明をしています |
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廉塾案内所へお立ち寄り下さい | ||||
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No.8 | ||
町並みを彩る風物詩 春の かんなべ町並み格子戸展 |
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5月連休中に開催 | ||
平成11年の井原鉄道開通以来、大勢の観光客が神辺を訪れています。これまで神辺本陣は一般公開されていませんでしたが、今は菅波家当主のご好意により無料公開されています。(月曜日を除く) 神辺本陣を訪問される皆様方に、菅茶山遺芳顕彰会の役員有志が解説ボランティアをしています。 ボランティアが見当たらないときには本陣正面向かいの「神原電機商会」に気軽に声をかけてください。 格子戸展は春と秋の連休中に開催しています。 |
No.7 |
新作能「鞆のむろの木」によせて 平成14年度 定期総会で記念講演 |
国立能楽堂での公演ポスター |
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菅茶山遺芳顕彰会 2002年4月13日 | ||
茶山顕彰会定期総会が神辺商工文化センターで開催され各議案が可決されました。 総会の後、能楽師シテ方喜多流 福山喜多会の大島泰子さんの「能<鞆のむろの木>について」と題して 記念講演が行われました。 この新作能は、美しい瀬戸内、備後鞆の浦を訪れた菅茶山の夢枕に万葉の歌人大伴旅人が現れ、亡き妻への追慕の念を切々と語る、幽玄夢想の世界を描いたという解説に一同深い感銘を受けました。 6月15日東京「国立能楽堂」で初演されました。 |
No.6 | |
茶山詩碑「農功」建立 猫児山眺望に由来の詩、松浦邸前庭に |
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菅茶山遺芳顕彰会 2002年4月 | |
茶山詩碑「農功」が本会常務理事の松浦正明氏宅前庭に建立されました。 この詩は「田植え時、なみなみと水を張った田んぼ越しに猫児山(現在の王子山)を見渡す」風景を詠んだもので、茶山が眺めたであろう場所をこのあたりと想定したものです。 碑は自然石の前面に角度をつけた二面づくりになっていますが、二つの面の角度が書面を拡げたような興味深い効果を出しています。 この詩について「茶山詩話 第3集」35ページ「夏」の章に詳しく解説されています。 |
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神辺本陣について解説する神原昭三理事 |
No.5 | |
神辺本陣で解説 ボランティア 本陣は入場無料、解説ガイドも無料です |
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菅茶山遺芳顕彰会 2002年4月 | ||
平成11年の井原鉄道開通以来、大勢の観光客が神辺を訪れています。これまで神辺本陣は一般公開されていませんでしたが、今は菅波家当主のご好意により無料公開されています。(月曜日を除く) 神辺本陣を訪問される皆様方に、菅茶山遺芳顕彰会の役員有志が解説ボランティアをしています。 ボランティアが見当たらないときには本陣正面向かいの「神原電機商会」に気軽に声をかけてください。 |
No.4 | |||||
第9回茶山ポエム絵画展 入選作品635点を菅茶山記念館に展示 |
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茶山ポエム絵画展実行委員会 2002年1月 | |||||
第9回茶山ポエム絵画展が神辺町新湯野、菅茶山記念館で行なわれました。今年は応募2640点の中から審査された最優秀・優秀・入選に選ばれた635点が展示されました。 作品は画用紙に白い綿をはりつけて雪を表現したり金粉を塗って天の川を表現するなど立体的な表現を取り入れるなど工夫を凝らした作品ばかりで、児童絵としても高いレベルを示しています。 1月19日(土)には受賞した児童生徒を招き授賞式が行なわれ、町長・町議会議長・医師会長・各小学校長ら来賓の見守る中、菅茶山遺芳顕彰会会長高橋孝一さんから賞状と記念品が手渡されました。 審査委員長の縄稚輝雄さんは「雪、梅、夕日など茶山先生が見つめられた四季折々の情景を、皆さんが心の眼を通して描いたこれらの作品は、これが良いとか悪いとかと選ぶことは出来ません。どれも立派で日本中どこに出しても恥ずかしくない立派なものばかりです。」と感想を述べられました。 「3月5日〜10日までふくやま美術館で最優秀・優秀作品130点が展示されます。 |
No.3 | |||||
神辺本陣伝来「黒本尊阿弥陀仏」 一般公開される |
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菅茶山遺芳顕彰会 2001年11月10日 | |||||
四百年菅茶前の神辺城主福島丹波の念持仏「黒本尊阿弥陀如来」が神辺本陣、菅波家に伝来しています。今年は33年ごとのご開帳法要にあたり、11月10日、11日の両日、山遺芳顕彰会のお世話により一般公開されました。
両日とも好天にめぐまれ、町内外から大勢の参観者がつめかけました。 公開に際しては当顕彰会の役員が案内や解説に当たり、また菅波家の菩提寺の万念寺において「備後地方南部の仏像について」と題して徳島文理大学浜田宣先生を講師に記念講演が行なわれ会場いっぱいの聴衆が熱心に聞入りました。 黒本尊阿弥陀仏の由来 「モト紅葉山場内ニアリシヲ、福島丹波退去ノ時ソノ聟ナル畠山氏(菅波家の祖)ニユズル」 (菅茶山編著 福山資料より抜きがき) |
石碑の移設作業を見守る高橋会長(右側) |
No.2 | |
義倉田石碑の移設なる | ||
菅茶山遺芳顕彰会 高橋孝一会長 2001年7月 | ||
地域の教育・文化振興助成で知られている財団法人「義倉」は今から200年ほど前の文化元年、千田村庄屋・河相周兵衛によって難民救済事業団として始まった。その発足については菅茶山の大きな働きがあったことが記されている。その救済の原資を得るために買い求めた最初の土地が深津郡中津原村(現福山市御幸町中津原)の約1町歩あまりであった。その後、芦田川改修工事や農地改革によって、その土地はすべて手放され、当時建てられた「義倉田・文久八年」と刻んだ石碑も近年の道路改修によって片隅に放置される様相になった。このたび、地元の理解と協力により、義倉財団の邸内に移設されました。 |
No.1 | ||
茶山ポエム七夕祭り | ||
菅茶山遺芳顕彰会 2001年8月 | ||
神辺町内の三日市・七日市・十日市通りのベンガラ格子戸の残る43軒の軒先をお借りし、恒例となった「茶山ポエム絵画かんなべ格子戸展」に加えて七夕祭りを行ないました。 これは、鳥取県佐治天文台の香西洋樹さんが1999年に発見された小惑星に「菅茶山」と名付けられたことを記念して企画した行事です。 竹笹の短冊は町内6小学校の児童たちが「茶山の星」に夢と希望とロマンを託して架けました。 |