⇒菅茶山顕彰会沿革
菅茶山生誕250年祭の記録                
 1998年(平成10年)10月17日(土)〜18日(日)の両日、菅茶山先生の生誕250年を記念し、菅茶山遺芳顕彰会・神辺町・神辺町商工会などが共催し、神辺町文化会館を主会場に町内11会場と神辺の町並みに残る格子戸を使って「菅茶山生誕250年祭」が盛大におこなわれました。

◆記念行事/神辺町文化会館大ホール
  (10月18日9時30分〜12時30分)

◆墓前祭/菅家墓地(10月17日10時〜11時)
◆菅茶山遺墨展/萬念寺・よこまち画廊
◆生花展/神辺町文化会館会議室
◆茶会/国分寺・東福院・広山寺・神辺町文化会館
◆盆栽展/神辺町文化会館ロビー

◆茶山ポエム絵画町並み格子戸展/十日市・三日市・七日市通り
◆茶山ポエム絵画展/かんなべ町立図書館
◆菅茶山と交友展/菅茶山記念館
   (10月14日〜11月18日)
◆現代書作家による菅茶山漢詩の世界展/菅茶山記念館   (10月18日まで)
◆羅漢像と象牙細工展/神辺町立歴史民俗資料館
   (10月1日〜11月8日)

◆本陣・廉塾公開 (10月17日・18日9時30分〜16時30分
菅茶山生誕250年祭ポスター
 
         ごあ い さ つ

 本年は、菅茶山が生まれて250年にあたります。私たちは、菅茶山遺芳顕彰会・神辺町文化連盟・神辺町商工会・神辺町・神辺町教育委員会で菅茶山生誕250年祭実行委員会を結成し、今日ここに記念式典を開催するものです。

 今も緑豊かな自然と人情こまやかな町民とからなるこの神辺町に、菅茶山が生まれたのは1748年のことです。当時の神辺は「ことの他悪風俗な町であったと、菅茶山は書き残しています。日々の生活に疲れた町民の姿がうかがわれます。

 文化を育み心豊かな生活を営むためには、書に親しみ、生涯に亙る理念を持つことが前提となります。それ以上に郷土を愛する心がなければなりません。菅茶山は京都で学問に励み、第一線の学者・文人と交わり、京都・大坂ではなく郷土神辺に黄葉夕日村舎を開塾したのです。菅茶山ほどの人物であったら、三都でも充分に活躍できたでしょう。でも、菅茶山は郷土神辺にこだわったのです。そのように、郷土を愛する菅茶山の心は遺された漢詩にも見られ、そこには温かい慈愛に満ちた眼で神辺を詠んでいます。

 菅茶山の教育活動によって、神辺の若者が当たり前のように書を読み「ことの外悪風俗」とは対極の町になりました。この伝統は菅茶山没後も連綿と続き、現在に至っております。

今を生きている私たちは、私たちに続く子どもたち・孫たちにこの伝統と神辺の自然を残していく営みが必要です。菅茶山を知ること、菅茶山から学ぶことで、きっと行く道を示唆されると確信しています。

 菅茶山生誕250年祭を実施するうえで、多くの方々のご協力をいただきました。末筆ですが、厚くお礼申し上げます。

    1998(平成10)年10月

           
菅茶山生誕250年祭実行委員会
                      委員長 高 橋 孝 一
記念式典で祭文奉読する高橋会長
小学生による「菅茶山四季の詩」合唱
墓前祭がそぼ降る雨の中
     しめやかに執り行われました
 
記念講演 
京都大学大学院研修生 朱 秋而さん
(台湾出身)
 
「茶山詩の清新さについて特に籃輿(かご)詩の場合」と題し、茶山の詩が中国の模倣を脱却し清新な詩風を確立したことを強調する内容でした。
菅茶山遺墨展
 茶山ゆかりの萬念寺を会場に
「江村秋事七首」ほかの作品が展示された。
廉塾前:巡回バスを待つ人たち
 初日はあいにくの雨にもかかわらず訪れる人は終日絶えることはなかった。 
茶山ポエム絵画町並み格子戸展
 旧山陽道であった神辺の町並みに今も残る格子戸にかかげた
茶山ポエム絵画は行き交う人の眼を楽しませた。