⇒神辺ご案内
 
茶山ゆかりの地
 
福山市神辺町以外にある 菅茶山ゆかりの土地を、
詩碑中心に紹介します


*詩の解説は、渡辺慧明氏作成の「詩碑案内」をコピーしています。
神辺町にある詩碑
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5.神辺町以外にある詩碑
 5.1.福盛寺  福山市駅家町服部字新山356
 詩碑  
 広島県福山市駅家町 福盛寺 「柏谷途中」 
 「柏谷途中」

乱石崩沙路不分 
松杉風外午
昇平四海無閑地 
墾破窮山幾畳雲 


 乱石崩沙 路分たず
松杉風外 午聞こゆ
昇平四海 閑地無く
墾破す窮山 幾畳の雲

柏谷…駅家町大坊から新市町下安井へ越えるところ、新市町網引 柏
乱石崩沙…花崗岩の風化した山肌
昇平四海…昇平(太平)四海(天下)
窮山…頂上
 【大意】石がごろごろ、砂がいっぱいで道がどこやら分からぬ。松や杉の林の向こうから風にのって午のの声が聞こえてくる。国中が太平で閑地を残さず開発が進められ、こんな山間僻地でさえ、山の頂まで墾きつくされている。
【出展】『黄葉夕陽村舎詩』前編ニ-一三 
   
 
 5.2.内海大橋の下 「梔子湾」  福山市沼隈町 
 広島県福山市沼隈町 内海大橋下 「梔子湾」   
 「梔子湾」

荒山何処旧行宮 
島寺沙村煙靄中
一去龍舟春幾度 
紫藤花落暮湾風







 荒山何れの処ぞ旧行宮
島寺沙村けむる靄(もや)の中
一たび龍舟去って春幾度
紫藤花は落つ暮湾の風




梔子湾…沼隈郡沼隈町の阿武兎観音の西奥
龍舟…天皇の御召船(神武天皇
   【大意】荒山のどこらにもとの行宮があったのか、砂浜のつづく村の高処に寺が、もやにけぶっている。一たび御召船が去って幾度春がめぐってきたか。紫色の藤の花は既に落ちて、暮れなずむ入海に昔ながらの風は吹いてやまない。
【出展】『黄葉夕陽村舎詩』前編五-一九 
     
 5.3.荒谷 「荒谷即事」   府中市荒谷
 広島県府中市出口町 「荒谷即事」
 「荒谷即事」

野歩追帰鳥 遥窮澗水源
当峯雲欲宿 迎客石将言
上逢孤犢 林梢忽一村
敲詩安未得 環坐老松根
菅茶山



 野歩帰鳥を追い
遥かに澗水の源をきわむ
峯に当りて雲宿せんと欲し
客を迎えて石将(まさ)に言わんとす
上(いじょう)逢孤犢(ことく)に逢い
林梢忽(たちま)ち一村
詩を敲して安まることいまだ得ず
環坐す老松の根(もと)

犢…子牛
 【大意】野山を歩きながら巣に帰る鳥を追い、遠く小川の源までいった。雲が山の頂上に当りそのまま動こうとはしない。石は久しぶりの通行者となにか話したがっている。土橋で道に迷った子牛と出会い、林の梢の向こうには村が広がっていた。同道者と老松の根元にぐるっと座って、ゆっくりつくろう。詩を推敲するができずに心がやすまらない。
【出展】『黄葉夕陽村舎詩』前編四-ニ 
     
 5.4.千光寺山公園  
      
「始登鼕鼕石呈同遊諸友石在千光寺南」
 尾道市千光寺
 広島県尾道市 千光寺山公園 「始登鼕鼕石呈同遊諸友 石在千光寺南」 
 
「始登鼕鼕石呈同遊諸友
 石在千光寺南」


鳴榔漸遠夕陽沈 
水波始恬山影深
山皆珍松雑奇石 
人撫龍鱗躡虎額
此石鼕鼕踏有声





鳴榔(めいろう)漸(ようや)く遠ざかり夕陽沈む
水波始めて恬(しず)かに山影深し
山皆珍松奇石を雑(まじ)ふ   
人龍鱗を撫して虎額を躡む
此の石鼕鼕(とうとう)として踏めば声有り
     龍鱗-松
虎額-石
鼕鼕-つづみの声
     
 5.5.米山寺  「米山寺拝謁小早川中納言肖像」   三原市
 
 
 「米山寺拝謁小早川中納言肖像」

一戦奇功仝列屯 
想君軍隊立伝
画中冠帯英風在 
馬上光陰華髪繁
先覩無愆援覇主 
予防有計保宗藩
当時諸将争驍勇 
興学誰知文徳尊

 




一戦奇功列屯を全うす
想う君が軍隊口立ちをつたへしを
画中の冠帯英風在り
馬上光陰華髪繁し
先ず覩(み)る(あやまる)無く覇主を授けしを
予防計有り宗藩を保つ
当時諸将驍勇を争う
興学誰か文徳の尊きを知らん
   【大意】一戦(文禄の役)の策略は一団となって任務をまっとうした。君(隆景公)はひとり隊を立ち小飯の時を告げる。画中の冠と帯には立派な徳がみなぎり、戦場での歳月によって頭には白髪が増えている。隆景公を覇主としたことに過ちはなかっただろう、その予防策によって毛利の藩をまもったのだから。当時の多くの武将らは勇猛であることを競ったが学校を興し学問による徳の尊さに誰か気づかなかったものか。残念なことである。
【出展】『黄葉夕陽村舎詩』前編三-一七 
   菅茶山顕彰会研修旅行で、見学しました。
  顕彰会ニュースno65参照
     
菅茶山詩碑については、菅茶山記念館HPにも記載されています。
<記載へリンク>菅茶山詩碑めぐり