茶山ゆかりの地 |
松風館址 松風館十勝碑林 顕彰会ニュースno.42号(2006年)から転載 |
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江戸時代の後期、備後中条村山田谷(現神辺町西中条山田)の豪商河相君推(かわいくんすい)は、その広大な 邸宅に回遊池や茶室などを設け「松風館」(しょうふうかん)と名づけました。 茶山は黄葉夕陽村舎を訪れる天下の有名人士を伴い、しばしば松風館を訪れ、君 推もこれによく応え、茶会を催すなど心から歓待しました。 こうして茶山の活躍を支えた一人として大きな功績があったとされています。 松風館の随所には訪れた文人の命名揮毫による「紅於径」(こうおけい)「鳴玉橋」(めいぎょくきょう)などの碑が建ち並び、十勝と称されていました。(下記参照) 時代が移り、これらの碑は散逸し「松風館」も忘れられていきました。 こうした中、君推の功績を残そうと、跡地を所有する武田武美氏(当顕彰会理事)や茶山顕彰会役員など有志の協力によって、跡地の一部に松風館関係碑3 基、十勝記念碑10基、茶山および頼春水詩碑3基、全16基が建立され、中国の「西安碑林」や「曲阜碑林」に倣って、この記念碑庭園を「松風館十勝碑林」 と名づけ、後世に伝えようとするものです。 碑林にある菅茶山詩碑(2基)については、後述しています。 参照:菅茶山と河相君推 |
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