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平成18年(2006)2月、旧河相邸跡に、君推の功績を残そうと、跡地を所有する武田武美氏(当顕彰会理事)や茶山顕彰会役員など有志の協力によって、跡地の一部に松風館関係碑3
基、十勝記念碑10基、茶山および頼春水詩碑3基、全16基が建立されました。 中国の「西安碑林」や「曲阜碑林」に倣って、この記念碑庭園を「松風館十勝碑林」 と名づけ、後世に伝えようとするものです。 *詳細は,松風館十勝碑林資料 ・・・記念誌「河相君推と菅茶山」全頁・・・「松風館十勝碑林しおり」1ページ 顕彰会ニュースno42 |
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碑林にある菅茶山詩碑 菅茶山記念館HPからコピー | ||||
松風館即事 | 菅茶山 | |||
詩罷松窓夜幾更 捲簾閑待柿歸鳴 隣燈有影樟陰黒 林雨將収竹氣清 |
詩罷(や)んで 松窓(しょうそう)夜(よる)幾更(いくこう) 簾(すだれ)を捲いて 閑(しず)かに柿帰(しき)の鳴くを待つ 隣燈(りんとう)影有りて 樟陰(しょういん)黒し 林雨(りんう) 将に収まらんとして竹(ちく)気清(ききよ)し |
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【大意】 詩を吟じ終わり、松の差しかかった窓から見れば、夜もたいそう更けてきた。 簾を捲きあげてホトトギスが鳴くかと静かに待っている。 隣の家の灯りでクスの木陰は薄暗く、林を濡らした雨は今にもあがりそうで、 竹藪には清々しい気配がただよっている。 |
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【出展】『黄葉夕陽村舎詩』前編3-15所収 | ||||
所見 | 菅茶山 | |||
落日残光在 新秧嫩翠重 遥雷何處雨 雲没両三峰 茶山老樵 |
落日(らくじつ)残光(ざんこう)在り 新秧(しんおう)嫩翠(どんすい)重なる 遥雷(ようらい)何れの処の雨ぞ 雲は没す両三峰(りょうさんぽう) |
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【大意】夕日が空を赤く染め、野山の緑の中で若苗の緑がさらに美しい。 遠くで鳴る雷はどこに雨を降らせているのか。 雲が広がり二、三の峰を隠してしまった。 |
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【出展】『黄葉夕陽村舎詩』前編3-4所収 | ||||
河相保之松風館同菅禮卿賦 | 頼春水 | |||
長松之下故人家 |
長松之下 故人(旧知の人)の家 鳴玉の渓流 譁(かまびす)しきを覚えず杯を傳え 更に愛す幽香の度(渡)るを 屋(おく)角(かく)の微風 橘(きつ)柚(ゆう)の花 |
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【大意】背の高い松の木の下に親しい友人の家松風館がある。 |
松風館十勝について 松風館は、林泉をめぐらし池亭を設け、邸内に十勝を定め、天下の名士たちに それぞれ揮毫してもらい、 それを石あるいは木に刻して標示されていたようです。 迎碧墩のみ現在残っています。(茶山詩話より) |
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碑銘 | 揮毫 | 場所など | 形状 | |
1 | 松風館 | 頼杏坪(広島藩儒者) | 下に永富充国の記文(訳)あり 「時寛政十年(1798)5月13日」 |
四角木柱-1面 |
2 | 棣棠橋テイトウキョウ | 倉成善司(豊前中津藩儒者) | 岸に山吹の植えられた橋 別の説 :両岸にニワウメ、ヤマナシの植えらた橋 |
四角木柱-2面 |
3 | 鳥語澗チョウゴカン | 赤崎彦禮(鹿児島藩儒者) | 小鳥のさえずりが途絶えることの ない渓流 |
四角木柱-3面 |
4 | 鳴玉橋メイギョクキョウ | 菅信卿(茶山末弟) (春水門下生) |
清流が多摩を鳴らすように流れて いる橋 |
四角木柱-4面 |
5 | 迎碧墩ゲイヘキトン | 柴野栗山(昌平黌儒者) | 青い苔で覆われた小高い丘 茶山の記文あり 「時乙丑(文化二年(1805))」 |
石標 現存 |
6 | 浸翠池シンスイチ | 山本来山(江戸の儒者) 北山? |
周囲の翠を映した池 | 石標? |
7 | 紅於徑コウオケイ | 岩瀬華沼 (肥前島原藩儒者) |
カエデの茂った小路 | 石標 |
8 | 魚楽梁ギョラクリョウ |
亀田鵬斎 (江戸の儒者) | 水を堰きとめて魚を取る梁 | 石標 |
9 | 垂白棚 スイハク | 紫源 | 白藤の棚 | 石標 |
10 | 娯論亭 ゴロンテイ | 菅茶山 | 泉水中の一つの亭 | 扁額 |
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