⇒菅茶山の紹介
菅茶山の著作菅茶山の著作

代表的な著書

・『冬の日影』1788年

・『福山志料』1809年

・『黄葉夕陽村舎詩(初編)』1812年

・『黄葉夕陽村舎詩(後編)』1823年

・『黄葉夕陽村舎詩(遺稿)』1832年

・『大和行日記』1818年

『備後国福山領風俗問状答』(答問福山風俗記) 1819年

・『花月吟』1826年

『筆のすさび』 1856年 (茶山の死後、書写編纂し出版)

 詳細(分類別)  筆のしずく「菅茶山の生涯」より  

 詩歌集

@「黄葉夕陽村舎詩」(刊本)3編23巻。ョ山陽、六如上人、那波魯堂、ョ春水、柴野栗山、武元(たけもと)君(くん)立(りゅう)、北条霞亭、菅耻(ち)庵(あん)らの評語が記されている。

 前編(通称)全10巻。文化4年(1807)までの茶山の詩集8巻923首。附録2巻。弟耻庵の詩集。文化9年(1812)出版。編者はョ山陽。序文、小原(おはら)梅坡(ばいは)。跋文、小寺廉之(かどゆき)。

 後編全8巻1008首・前巻拾遺2巻。前編以降文政3年までの詩集。文政6年(1823)出版。編者は北条霞亭。

 遺稿全7巻482首、後編以降茶山死歿までの詩集。附録として茶山の養嗣子萬年の詩42首を含む。天保2年(1831)出版。編者はョ山陽・菅惟(い)縄(じょう)。文稿4巻=黄葉夕陽村舎文。
附録:ョ山陽撰「茶山先生行状」など。遺稿と同時出版。

A「花月吟」茶山が京都遊学初期に唐の伯彪に擬して詠んだ作品。茶山は「黄葉夕陽村舎詩」に収めず、備前藩儒中村圃公(ほこう)の懇望を承け文政7年(1824)出版。

B「三原梅見之記」文化10年(1813)三原西宮の梅林見物。

C「歌集」1巻 文化11~12年(1814~5)二度目の江戸旅行時の和歌集と見なされている。


 旅行記
@「北上記」寛政6年(1794)後妻宣(のぶ)との吉野、京都、伊勢旅行。

A「遊藝記」(藝遊日記)(草稿)天明8年(1788)、広島・宮島厳島神社旅行中、四ョ、春水、山陽、杏坪、春風(竹原)との交流。

B「常遊記」(「常陸ミちのき」)(草稿)。文化元年(1804)、藩主阿部正精の命で在府中、常陸国(茨城県)太田瑞龍山徳川家累代・朱(しゅ)舜水(しゅんすい)展墓。

C「大和行日記」
政元年、(1818)大和の医師服部宗(そう)賢(けん)に健康相談がてら満開の吉野山桜見物。


 随筆
@「冬日かげ」一揆で荒廃した社会を立て直す役人の心構えと民衆教育の重要性を随筆風に記述。

A「夏の木かげ」(未発表草稿)「冬日かげ」の姉妹編と思われる。

B「随筆」(「筆のすさび」か)(刊本)。安政4年(1814)刊行。全4巻。
 *筆のすさびは、茶山の死後に書写編纂し出版(1856年)


 福山藩などの史誌

@「福山志料」(草稿)福山藩の地誌。文化元年(1804)、阿部正精の命により実質茶山一人で編纂に着手。文化6年(1809)、全35巻が完成。

A「答問福山管内風俗」(「風俗御問状(おといじょう)答書(こたえがき)」)(草稿)。文政2年(1819)。文化末年、幕府の問い合わせに応え茶山が作成した福山藩の回答書。

B「室町志」(未発表草稿)文政4年(1821)、足利尊氏から義昭まで室町幕府の盛衰を描いた歴史書。茶山は京都在住のョ山陽に資料文献の入手を依頼している。
   
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