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菅茶山に関連したニュースや情報をお知らせするページです 顕彰会トップページと主要項目は、次をクリック ください |
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★顕彰会だより4月号 (第14号) ★顕彰会入会案内 |
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行事連絡 2023.5更新
かんなべ図書館展 | 6月21日(水)~7月17日(月) | かんなべ図書館 | 2022年度優秀作品32点を 2回に分けて展示 |
2023 収蔵作品展「春」 |
4月1日(土) ~5月28日(日) |
菅茶山記念館 | 菅茶山の書や金島桂華らの絵画から春を表現した作品を展示 |
茶山学習会 6月 | 6月17日(土)9:30~ | 菅茶山記念館 | 『茶山ポエム絵画展30年の歩み』 記念誌を読む |
会報・寄稿 2023.4更新
会報33号 | *「茶山ポエム絵画展30周年に寄せて」 *「茶山ポエム絵画展黎明のころ」 *「廉塾バラは庚申バラ」 *「茶山詩の世界」 *「超群の一鶴 廉塾並びに菅茶山旧宅」 |
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会報32号 | *「廉塾の今昔に懐いを馳せて」 *「廉塾生への追悼詩」 *「茶山ポエム絵画展雑感」 *「熟年の年賀状」 *「私の好きな漢詩文」 アンケート |
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会報31号 | ・歴史に残る令和2年の記憶 ・故高橋孝一会長を偲んで ・堂々川ホタル2代会長髙橋孝一を偲んで ・『風俗問状答』から考えること ・巨峰茶山詩六曲屏風に初挑戦 ・菅茶山顕彰活動の継承を願う |
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記念誌 | ・『河相君推と松風館十勝~菅茶山と中條村の文人たち』 ・分冊版 Ⅰ表紙~松風館十勝碑林と十勝碑 Ⅱ菅茶山と中條村、菅茶山が往来した中條路、仮説「松風館十勝は邸内及び山田谷一帯に設置」 Ⅲ記録「松風館十勝碑林建立」~裏表紙 |
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寄 稿 | ・菅茶山と中条村 ・菅茶山と乗如上人 ・茶山と梅 ・講演「廉塾と槐」 | ||
神辺ご案内 | ・神辺町にある菅茶山ゆかりの寺院 松風館十勝碑林 | ||
*以前掲載した記事は「会報・寄稿」にあります。 *寄稿・情報提供のお願い |
2023.4更新
堂々川;人も自然も生きているⅡ10号 堂々川ホタル同好会の活動にはいつも敬服します。前会長の卒業式おめでとうございます。 |
神辺学区まちづくり推進委員会 神辺宿文化研究会 ホームページ |
*歴史文化を活かした町づくり *廉塾バラ *福山城築城400年記念事業 *神辺宿まちなみ講演会 |
神辺町観光協会 ホームページ |
葛原文化保存会 | 葛原文化(葛原しげるとその祖父葛原勾当の文化)を継承し発展させるため の活動を行うことを目的しています |
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ホームページ おしらせ・イベント情報 |
顕彰会HP記載記事 | 神辺ご案内 黄葉だより「葛原しげると宮城道雄」 |
神辺本陣記念館(菅波教育文化振興財団) ホームページ |
お山のこんぴらさん (内容を見ることができます) |
高橋孝一著 キングパーツHPより |
QRコード表 | 菅茶山新報 |
会報32号 |
菅茶山新報>神辺案内 | 松風館十勝碑林地図 |
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松風館十勝 碑林 しおり |
松風館十勝碑林 のご案内 (栞1P) |
松風館十勝碑 (栞2P) |
山田谷 松風館跡 周辺(栞3P) |
十勝碑林に建立した 詩碑(栞4P) |
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広報ふくやま 4月号 「歴史散歩」のコピー
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菅茶山の足跡を訪ねて (1)龍泉寺桜 <龍泉寺にある菅茶山詩碑(右)> |
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菅茶山(1748~1827)は備後国神辺の教育者で、江戸後期を代表する漢詩人としても有名です。 農村の風景や人々の営み、交友、紀行詩など2,400首余りを集めた茶山の漢詩集「黄葉夕陽村舎詩」は当時のベストセラーとなり、「当世随一の漢詩人」と絶賛されてその名は全国に知れ渡りました。宋詩に学び、詩材を身近な日常生活の中に求め、実景を写し、自分が見たまま、感じたままを日本人の感覚で表現したことで大衆に受け入れられたのです。 生涯神辺を拠点にした茶山は、日頃は近隣の学僧や藩士、文人、医師たちと交流し、郷土を題材にした詩や記録を残しています。 今月号からゆかりのある地に建立された詩碑やエピソードなどを紹介し、茶山の人物像に迫ります。 「龍泉寺桜」 老樹移来幾百春 年年麗艶占芳辰 林東有墓生苔蘚 會是花前闘酒人 【要約】桜の老樹を移し植えて何度春が過ぎたであろうか。年々美しくあでやかに、この春をほしいままに咲き誇っている。林の東には墓があり、コケが生えている。かつて生前には、よくこの花の前で酒を酌み交した友であったのに。 神辺城跡北麓の帰谷にある龍泉寺の境内には、奈良県の興福寺から接木として持ち帰った「車返しの桜」と呼ばれる古木がありました。今はなき花の下で、亡き友を偲ぶ茶山の姿が目に浮かびます。 |
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![]() 菅茶山の足跡を訪ねて (2)松風館跡 |
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神辺町西中条の山田谷に、河相君推という酒造業を営む豪農がいました。多くの書画類を蒐集し、和歌に巧みな風流人で、茶山と交流がありました。 屋敷地には、母屋、酒造場のほか数寄を凝らした客殿「松風館」が建っていました。 池や丘を設けた松風館の邸内では、十ヵ所の景勝(十勝)を定め、名士にそれぞれ命名、揮毫してもらったものを石などに刻んで掲げていました。命名者は、茶山、菅恥庵(茶山の弟・儒者)、頼杏坪(広島藩儒者)、柴野栗山(阿波藩儒者・昌平学教授)のほか九州や江戸の儒者たち十人で、茶山の交友の広さを物語っています。 茶山が松風館での詩会で、即興で詠んだ詩があります。 「松風館即時」 詩罷松窓夜幾更 捲簾閑待柿歸鳴 隣燈有影樟陰黒 林雨將収竹氣清 【要約】詩宴も終わり松の枝が差しかかる窓から外を眺めれば、夜もたいそう更けてきた。簾を巻きあげてホトトギスが鳴くかと静かに待っている。隣の家の灯りでクスの木の陰は濃く、林を濡らした雨も間もなくやみそうで、竹藪には清々しい気配がただよっている。 夜の山田谷の風景を彷彿とさせ、茶山のすぐれた自然観察力と美意識を感じます。 当時の十勝碑は分散したようですが、新たに十勝碑や詩碑などが建立され、松風館十勝碑林と命名されています。
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<箱田良助誕生之地碑(中央・左)と箱田道中詩碑(右)>
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茶山は友人である河相君推や遍照寺の大空上人がいる中条に、箱田路を通って度々行き来しています。深夜になって中条から家に帰る途中の景色を詠んだ詩があります。 箱田道中 此經山蹊歳幾回 毎將夜半始還來 行思往時停籃輿 (要約)この山あいの道を年に幾度往来することか、いつも夜半近くなってから家に帰ってくる。以前はよくここでかごを止め、蛍火を眺めたことなどを回想していると、水辺の竹藪の中から数匹の蛍が出て飛んで行った。 時を忘れて夜更けまで交流を楽しんだ帰り道、箱田に差し掛かった時に思いがけず数匹の蛍が暗闇から現れ、流光を描きながら飛び去って行った情景を素朴に表現しています。 箱田には茶山と交流のあった人物が生まれています。幕府天文方の伊能忠敬に17歳で入門し、筆頭内弟子として、測量に従事し、日本最初の実測地図である「大日本沿海輿地全図」の完成に大きく寄与した箱田良助です。 良助は1814(文化11)年、江戸に滞在中の茶山を何度も訪ね、測量の話題で盛り上がるなどつながりを強めていきました。 また茶山は1809(文化6)年、九州第一次測量隊(第7次測量)が福山藩領内に入ったとき、神辺東本陣に宿泊した伊能忠敬を訪ねて以来、忠敬とも親交を深めています。 なお、幕末から明治維新期にかけて活躍した榎本武揚は良助の次男です。 |
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