黄葉だより 2020 菅茶山に関連した地域の情報・寄稿を掲載いたします。
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  2020-no14

  高橋孝一会長を偲んで

菅茶山顕彰会会報の掲載記事から見た横顔
    

 令和2年7月31日、菅茶山顕彰会第二代会長高橋孝一氏(享年89歳)が他界された。謹んでお悔やみ申し上げるとともに、存命中、不惜身命そのまま、本会を始めふるさと創生に尽瘁された数多のご功績に深甚の謝意を表するとともに、会員一同、謹んでご冥福をお祈り申しあげます。

 高橋孝一会長は昭和7年、現御幸町新茶屋生まれ。18歳で上阪。昭和28年、大阪外国語大学卒、大企業で海外諸言語国歴訪、貿易関係業務を経て、昭和34年、東大阪に、「(株)キングパーツ」創業。昭和61年、不惑の歳、帰郷、会社を岩成に移転、本社工場とした。自称「英語とワープロとハイテクの職業を生業とする」トップ、そこかしこのイベントのムードメーカーとして草笛を披露する芸達者としても有名であった。

 平成9年、第2代菅茶山遺芳顕彰会会長就任。翌平成10年、菅茶山生誕二百五十年祭実行委員会委員長として、神辺町並びに同文化連盟、商工会・教育委員会と協力、神辺町文化会館での記念式典、菅家墓所での墓前祭、廉塾・本陣など町内各所での記念行事を催行、成功裡に幕を閉じた。
数多くの高橋会長の功績の集大成は2011年度、福山市善行市民賞受章。菅茶山顕彰会ブレインとして5年毎の生誕祭、研修、交流、出版、建碑などの記念事業の陣頭指揮のほか、町内に限って云えば、全国砂留サミットを立ち上げた「堂々川ほたる同好会」、「義民のふるさと」紹介の「かんなべふるさと会」、御領三絶を普遍化した「御領の古代ロマンを蘇らせる会」などの首脳。情宣活動では、能筆を活かして「かんなべ浪漫」コラム覧執筆担当、能弁を奮っての「FM福山」レギュラー出演など、枚挙に遑がない。
加えて、これまでの地元の歴史文化の調査研究、就中、備後福山地方の方言辞典「びんごばあ」(1986年)などの出版を通じて郷土文化の普及発展並びに県境を越えた「ロマンチック街道313」(1988年)の提唱者として街道沿いの魅力ある町づくり振興に功績があったことなどが評価された。

 平成25年、本会会長退任、以後、顧問として推戴していた。自他ともに認める頑固な「医者嫌い」であったが、遂に、卒寿を待たず幽冥境を異にする日が訪れた。

 菅茶山ゆかりの地に茶山詩の石碑が多く建立されているが、平成18年に西中条山田谷には、「松風館十勝碑林」が建立された。これは福山市合併記念として、茶山文化を偲ぶよすがにしたいと菅茶山顕彰会が総力を挙げて企画完成したもので、この主碑の碑文は高橋会長の撰文と書であり、会報16号の巻頭言にその建立の思いが残されている。
氏はこれまで建立された町内外の茶山詩碑群の集大成、画竜点睛の一基として、廉塾養魚池前に茶山自筆の詩碑「宿生田」建立を切望されていたが、実現に至らなかったことが悔やまれてならない。近い将来、この詩碑を建立し墓前に報告できれば幸いである。
                                     合掌 
 *顕彰会ニュースno184号に「お別れ会」記事掲載
 
   2020-no13

 「神辺城の固屋について」

令和2年度 神辺公民館 第3回歴史講座
   
 
  9月4日 今回の講師は 広島県立歴史博物館 木村信行学芸課長です。

はじめに 主たるテーマ
 ・中世の山城とは?
  麓の館&山頂の城郭から成る
 ・「神辺固屋口の戦い」の歴史から学ぶ
  固屋(古屋・小屋・篭屋)とは何、何処に?

論旨
1.神辺城は山頂の丸(甲丸・諸丸=堀立柱建物)と麓の館(礎石建物)と、固屋から構成されている。
 山頂への登城路は分りにくい。

2.固屋は丸よりも低い丸の外側(町外)にあって、外構(防禦施設)で、外部と隔絶されている。
 外構は高さ・距離とも交戦上守備に有利な切岸・堀を備えている。
 段差が13㍍あり、固屋の攻防は、鑓で構を越えて攻撃、弓矢で防禦を固める。

3.神辺固屋口(=村尾城下)の戦い
 ①時 天文17年(1548)6月18日・20日、
 ②神辺城主 山名理興ー攻め方 吉川元春―毛利元就ー(周防)大内義隆
   ・山名理興は(出雲)尼子晴久の傘下にあり、尼子対大内の戦いでもある 
 
 ③神辺城の備え
  ・かがらみ丸(山頂部) 赤穴氏在番
  ・内固屋(入り口 現七日市) 小笠原氏在番
 ④戦況報告 大内氏←吉川少輔次郎(元春)
  「合戦で部下が獅子奮迅、負傷者(
石七郎兵衛慰など数人
  が出た」
 ⑤感謝状 石七郎兵衛慰←吉川少輔次郎
  「固屋で石氏が「構越」の鑓で攻撃、負傷したことに対し」

*神辺城 別名 村尾城、道上城、紅葉山城。

 
 
   
   2020-no12

 「石州ぎんざん道と中条」

令和2年度 中条公民館 歴史講座
   
 
 7月21日 福山市立中条公民館で、神辺宿歴史文化研究家 菅波哲郎氏を講師に講演がありました。 

1 大森銀山とその歴史的意義
 1526年 神谷壽貞が発見。銀鉱石は大森→鞆ケ浦→博多経由、朝鮮に送られ製錬。
 1533年、製錬技術の進歩で、最盛期を迎え、ソーマ銀として、世界的に流通。
     ポルトガルvs中国間では絹織物・陶磁器vs 生糸の交換貿易、ヨーロッパで莫大な利益お収めた。

2 江戸幕府の支配
 1600年、徳川家康は銀山を直轄地(天領)とした。
 ・大森銀山初代奉行は大久保長安。銀輸送の安全担保のため中国山地ルート=石州銀山道開発。
 ・天領支配のため、役人を配属、その休泊施設、郷宿、円滑な業務運営のため、代官所指定の金融業者 御用掛屋を配した集落を作った

3 銀の輸送とその道「石州ぎんざん道」
 ①輸送量 灰吹銀1年分(前年10月~当年9月分 10貫目入り木箱20包 代官所御銀蔵保管)
 ②輸送 時期 毎年旧暦10月下旬~11月上旬大森出立。
  〔尾道ルート〕 大森―九日市―三次―甲山―尾道(三泊四日)~<海路>―室津―大坂銀座
  使用人馬 役人 10人 牛馬(1頭2箱運搬) 80頭 人足 約400人

4 石州ぎんざん道の起点
 ・備後国分寺前に石標「道しるべ」が残っている。近世山陽道との分岐点・出発点と考えられる。
  石標には「右 石州ぎんざん道 左 九州おうかん」とある
 ・萩藩絵図方有馬喜惣太作「絵図」(明和元年1746)によれば、「此所より大森まで行程三十五里」とある。
 ・大森代官が赴任する時は、山陽道を下りここから石州銀山に向かった。(高屋・七日市に代官用宿舎が  あったこと、大森代官名の村々への通達が残る) 帰任時は尾道から船路を利用したと考えられる。
 ・石標は茶山書と伝えられているが、設置年が茶山逝去の「文政10年仲秋」から考えると疑問である。 


**補遺 「岩見ぎんざんと中条」(菅茶山顕彰会会報第23号)
 西中条深水、荒神社近くに、宮太立・太柱父子の墓と伝えられる二基の白墓がある。
 ここは宮家の本籍地であるが、笠岡で代々医者を務めていた。
 太立の次男太柱は安政2年(1855)、28歳の時、大森代官の依頼で、石見銀山の鉱山病防止対策の調査研究を行い、「藥蒸気法」や「福面」などの装置を開発、鉱山病と云われる呼吸器疾患の予防に取り組んだ。 一度、帰郷したが、妻を残して上京、尊攘運動に加担。
 明治2年1870、暗殺事件に連座、流罪。国事犯としての遠慮から、墓碑には名前が刻していなかったという。 
 
   2020-no11

 「現存する各地の本陣と神辺本陣」

令和2年度 神辺公民館 第2回歴史講座
   
 
 7月22日 神辺宿歴史文化研究家 菅波哲郎氏の講演がありました。

1 訪れた街道と宿場
 参勤交替の制度によって生まれた街道と宿場町本陣が廃止されてから150年。平成15年から50数カ所の本陣を訪ねた。

2 各地の本陣・脇本陣の現況
 1)昭和14年「東海道」の状況 実に92㌫が消滅。本陣
   の管理が如何に至難であるか痛感。
 2)本陣の現存とは?=定義
   ・本陣部 正門、玄関、座敷、風呂、雪隠、番所
  ・居住部 座敷、居間、土間、台所
  ・生業部 酒造業、金融業、製薬業、材木業
  ・伝来資料 本陣御用記録、勘定帖、関札など
 3)各地の現存状況(山陽道関係)
  ① 旧形を存す 矢掛宿本陣
  ② 一部存す  神辺宿本陣
  ③ 座敷のみ存す
  ④ 座敷(本陣部)、他へ移築
  ⑤ 外観のみ 今津宿本陣、田萬里宿本陣
  ⑥ 焼失 神辺宿東本陣 文化4年
  
 

神辺本陣
   *文化庁指定 宿場町8件
   重要建物保存地区=旧形または一部残存の本陣はない。数多の古民家が軒を連ねている。
 *史跡・重文の定義
    史跡 歴史的な場所(特定)
    重文 建物、付帯施設(移転可)

3 神辺本陣の現況
  生業とした酒造業部を除く、本陣・居住部、伝来資料(「菅波信道一代記」など)が 他に類を見ないほど大切に保存されている。
  建築に関しては、福山大学柳川真由美先生が調査研究発表を続けている。

4 本陣が現存していることの意義
  誇るべき現存の本陣、廉塾、町屋群を地方文化創造の礎として、今こそ地域住民が一丸となって神辺宿情報を発信、未来の明るい町づくりを目指すべきである。
   
  2020-no10

 菅茶山と賴春水について

令和2年度 神辺公民館 第1回歴史講座
  

  6月26日 福山市立神辺公民館にて歴史講座が開かれ、広島県立歴史博物館学芸員 伊藤大輔さんが
 「菅茶山と賴春水について」 講演されました。概要を紹介いたします。
   
1 菅茶山と賴春水

  寄懐賴千秋 二    菅 茶山   黄葉夕陽村舎詩 前編巻二
 
君居東武紫霞関  君は居る東武紫霞関
 
我住西薇黄葉山  我は住む西薇の黄葉山
 
驛馬門前日來去  驛馬門前日々來去すれども
 
幾時能載故人還  幾時か能く故人を載せ還らむ

 A 菅茶山 漢詩人、儒学者、教育者
  ベストセラー「黄葉夕陽村舎詩」刊行
  朱子学者、福山藩儒、地誌「福山志料」編者
  教育者 金粟園・黄葉夕陽村舎・廉塾主 世直しのため「学種」を育てる

 B 賴春水(千秋) 儒学者、書家
  ・儒学者として 竹原→大坂遊学期 師 古賀精里
   広島藩儒時代 藩校・世子教育 昌平坂学問所でも講義 
、  『芸備孝義伝』編集
  ・書家として
   「天満大自在天神」 7歳の作  近隣から神童と謳われた。
   書家 趙陶斎に師事
   
 C 茶山と春水の生き方
   「磻磎跪餌図」 谷文兆画・岡本花亭賛  茶山 太公望に喩えられる。
    病弱の故もあって、若い時は在野で苦労、50代中途になって初めて福山藩儒に取り立てられた。

   「温公兄弟対酌図」谷文兆画  春水 司馬光(諱 温公)に喩えられる。
    幼時から、神童と云われ、30代で広島藩儒に迎えられた。

  文兆の目線で捉えた茶山・春水評とも言える筆遣いの差異がある。

2 茶山と春水の交友
  ・春水大坂時代
   安永2年 大坂で初対面。安永5年 春水、神辺訪問。
   安永9年 茶山、京坂滞在、春水邸に宿泊、春水を介し混沌社友と交遊(「題片山尾藤二州先生侍後」茶山)

  ・春水広島時代 頻繁な交流
   江戸参勤(4回)、湯治旅行(2回・「葵酉有磨往還日記」(北条霞亭との出逢い)、
   茶山、広島旅行(『遊芸日記』)→頼山陽9歳と初対面、、元安橋水楼の送別宴etc)
   竹原旅行(「會龍頭山序」山陽)→頼一家と家族ぐるみの交遊

  ・春水死去後
   茶山 「春水遺稿序文」執筆(文政6年)

3 二人の関係 書簡往復
  ・「瓜の蔓に茄はなり申さず」 春水山陽評
  ・春水の師趙陶齋書の真贋鑑定依頼 茶山

 おわりに
  お互いをどう見ていたか
  「歳暮書懐示児」書 賴春水 68歳
   広島藩儒生活30年を懐古、子孫への教訓を詠んでいる

  寄題賴千齢留春居  菅茶山  黄葉夕陽村舎詩 遺稿巻四
 兄弟三人竝風流  賴三兄弟、三人とも風流人
 二随鶯遷一鷗侶  春水・杏坪=宮仕え、春風=風流人
 春水春草偏各居  各居に 春水南軒、留春、春草の扁額
 最留春事属誰所  最も春風を長く家に留めるのは誰の所?
 衙前楊柳路傍花  役所前の楊柳や路傍花を賞せても
 寅入酉退奈厳何  寅刻から酉刻まで厳しい宮仕えを奈何にせん
 輿来行楽倦則睡  駕籠で行楽、倦めば睡る
 最留春風在君家  最も在宅の多いのは春風
 伯是儒衆叔循吏  春水は儒学者、杏坪は官吏
 所得終孰與仲多  三兄弟いずれも仲良しだが得るところが多いのは春風だ 
 
   2020-no9

 第11回展示~菅茶山と平田玉蘊Ⅱ~

広島県立歴史博物館 菅茶山展示室 6月16日~8月10日
 

 第10回展示(「菅茶山と平田玉蘊1」)の続編として,新出の作品や,玉蘊の画業を継いだ彼女の息子の
作品が展示されています。 継続して展示された「市井風俗図屏風」は西日本豪雨の被災者、若林泰典(倉敷・真備町)さんが寄贈された屏風で、一見の価値があります。
 関連記事 黄葉だより「玉蘊屏風を豪雨被害の民家で発見」

<博物館のHPから> ここが見どころ!
 「月次風俗図屏風(つきなみふうぞくずびょうぶ)」(チラシは,その一部分。)は,屏風に1月から12月までの行事や風習が描かれているもので,江戸時代の風俗について垣間見ることができる貴重な資料です。
 展示会では,1月から12月の行事が描かれた絵を全て御覧いただけます! 

「市井風俗図屏風」
 それぞれの月(旧暦)の代表的な風物詩が描かれている。県博新設HP「おうちでミュージアム」公開要旨
1月 人(じん)日(じつ) 1月7日 七草粥
2月 初午(はつうま) 2月最初の午の日 稲荷神社の縁日
3月 上巳(じょうし) 桃の節句 3月3日 
4月 灌佛會(かんぶつえ) 4月8日 釈迦の誕生祭
5月 端午の節句 5月5日
6月 祇園祭 
    京都八坂神社大祭ほか全国各地
7月 盂蘭盆(うらぼん) 7月13日~16日 盆踊り
8月 八朔 8月1日 
    五穀豊穣&子孫繁栄を願う祭馬節供  鞆「八朔の馬だし」
9月 重陽の節句 9月9日
10月 戎講(えびすこう) 10月20日 
    広島 恵比寿神社
11月 冬至(11月子の月 現在12月23日頃)を表わす絵図 
12月 餅つき 12月29日 
 
  2020-no8

 第10回展示~菅茶山と平田玉蘊Ⅰ~

広島県立歴史博物館 近世文化展示室 5月12日~6月7日 
 

 
 近世文化展示室は、2018年10月12日改装オープン以来、2カ月毎に展示入れ替えが続けられ、
茶翁崇敬者の目を楽しませている。
昨2019年度は新型CV症感染拡大防止のため、第9回展が中断、第10回展は5月12日から展示された。
 次の見学メモで展示品を紹介します。
 

1.「画乗要略」
  白井華陽編 江戸時代後期の代表的な画傳書。天保二年刊行。最後に「閨秀」の項があり、 
  26名余の著名な女流画家の一人として、玉蘊のプロフィールも掲載されている。(3.を含む)
2.「玉蘊画帖」
  玉蘊が晩年の茶山に年賀のごあいさつとして贈った作品など6点が茶山によって巻子装になっている。
4.「菅家往問録」
  玉蘊が「季秋廿五日従萱堂同来/平田 豊/同庸」(文化六年9月25日 母、妹と来訪)と揮毫している。
5.「書状」菅宣宛て平田玉蘊書状1月25日付
  余寒お見舞い。幸便にて先生にお願いの儀があり、「画」をことづけたので、よろしくお伝えください。
6.「書状」(同)7月23日付
  残暑お見舞い。病後の先生にご面倒をおかけするが、御歌を一首お願いしたいので、よろしくお伝え
  ください。
7.「四季花鳥図巻」(2巻)
  花は梅・桜・牡丹・椿 鳥 25種類
8.「三草花画巻」
9.「鶴と梅図」
10.「観瀑昇鯉図」
11.「玉蘊画巻」
  玉蘊が年賀として贈った作品6点が巻紙仕立てにされている。

12.「市井風俗図屏風」
  この屏風は第11回展示にも継続展示されている。紹介はno9号ご参照

参考資料「平成27年度 秋の企画展 賴山陽を愛した女流画人平田玉蘊」(展示図録 広島県立博物館)

 
 
   
 2020-no7

 第9回展示 ~菅茶山と岡山の文人たち~

広島県立歴史博物館 菅茶山展示室 2月8日~4月6日

 第1章 菅茶山~菅君詩を以て世に鳴る~
・菅茶山肖像画の中、松前藩家老蠣﨑波響の子弟高橋波藍画、
・茶山の著作の中、「黄葉夕陽村舎詩」、この詩集には採録されなかった茶山初期の漢詩集「花月吟」、
・茶山の弟子で、茶山が本家「尾道屋」(現「神辺本陣」)の養子に薦めた菅波信道の「菅波信道一代記」
 (326点に及ぶ彩色の挿絵付、全75冊)など紹介

 第2章 廉塾~菅茶山の教育拠点~
・廉塾の教育内容、年齢や進度に応じた教科書の選定が記されている書付。
 採択された冊子「朱文公童蒙須知」「朱子訓子帖」「世説新語」「蒙求」「唐詩選」「三体詩」など紹介。
 因みに、「三体詩」とは、古体詩vs近体詩の中、「五言律詩」一句が五文字、八句で構成、
 「七言律詩」一句が七文字、八句で構成、「五言絶句」一句が五文字、四句で構成、
 「七言絶句」一句が七文字、四句で構成 と。

 第3章 菅茶山と岡山の文人たち~(主な)作品に見る交流~
・「拙齋西山先生詩鈔」(備中鴨方西山拙齋の漢詩集 茶山撰 文政11年)
・「楢園集」(備中笠岡小寺清先の和歌集 茶山(すかのときのり(菅晋帥)序 文政6年)
・陶板「黄葉夕陽邨舎」(茶山へ備前北方武元登々庵、作陶贈呈 享和2年)
・「春川釣魚図並詩」(備中鴨方姫井桃源を筆頭になど天下の韻士30名が詩を贈っている。文政10年) 

 第4章 菅茶山と岡山の文人たち~漢詩で遊ぶ~
・文化11年、茶山は公務で二度目の江戸出府。その頃、岡山藩儒井上四明の詩を発端に、江戸でも畳韻
 (同じ韻を使った漢詩)のやりとりが流行、備中、備前などの文人などの間でも広がった。
・「四明外詩巻」(茶山の手で、井上四明とその子、天覚や武元登々庵の弟君立(閑谷黌教授)の作品などが
 纏められている)

 特集1 旅する岡山の文人(その作品集)
・「松前名勝図」(備中新本(現総社市)地理学者古川古松軒が津軽~松前の風景を収めた冊子)
・「奥遊詩画帖」&「奥遊詩画帖」(前者は武元登々庵が東北地方旅行時の風景画と漢詩、後者は同真景図
 (大西圭斎原画)と漢詩を纏めたもの)

 特集2 江戸時代の学校資料
・「閑谷学校図」日本最古の岡山藩郷校。寛文10年、藩主池田光政が和気郡木谷村に創建
・「岡山藩学校図」岡山藩校。寛文9年、藩主池田光政が創建
・「敬業館図」笠岡の郷校(寛政9年、開設。笠岡国学者小寺淸先教授

 *小寺淸先
 小寺家墓地(JR山陽本線笠岡駅北西)には、「笠岡の人で楢園という。八幡平に敬業館をつくった人。
 その初代の教授となり  27年の長い間、塾生の教授にあたった。文政10年6月26日、80歳で死去した。
 清先先生没後は、二男廉之(子和)、その子顛㐮がそれぞれ教授になった。
 敬業館が郷土笠岡のためにつくした功績は実に大きい。
 敬業小学・敬業中学校は、笠岡小学校最初の校名である。」とある。
 
 2020-no6

茶山直筆の屏風 茶山記念館へ寄贈

「蝶と螢を詠んだ漢詩」
  
 
 3月5日、朝日新聞の報道によれば、3日、竹中直人(福山市笠岡町)さんが、祖父が入手、愛蔵していた「茶山直筆の屏風」(六曲一双)を菅茶山記念館へ贈り、枝廣市長から感謝状を贈られた。
茶山が「蝶と螢を詠んだ漢詩」が書かれている。蝶や螢の詩は、茶山ポエム絵画の題材としてもよく知られている。菅茶山記念館でのお披露目が待ち遠しい。
 

  蝶七首 一 (後編巻八)    文政元年(1818)70歳 *屏風では二と三が順逆になっている。
 盆種一株梅  盆種(栽)の一株の梅を見て
 雪中花始開  雪中 花始(初)めて開く
 候晴移近日  晴を 候うて 移して日に近づくれば
 已有蝶尋來  已に蝶の尋ね來たる有り

(大意) 一株の梅の盆栽、雪があるのにもう花が咲いた。
     晴天を見計らって、日向へ移してやったら、
     早や蝶が尋ねてきた。
 
   蝶七首 
 一花香幾陣  一花の香 幾陣ぞ      
 已覚両邊通  已に覚ゆ 両邊に通ずるを
 一蝶自西至  一蝶 西より至り
 一蝶來自東  一蝶 東より來たる

  茶山ポエム(現代語訳) 中山 善照
花の香りは すごいんだ
ずっと遠くに すぐ伝わってるぞ、ほらごらん
あの蝶いっぴき 西から来たし
この蝶ひらひら 東から来ただろう
 (大意) 一株の花の香りが幾度も匂うて來るものだ。もう鉢の両側、いや、ぐるりへ届いているのだろう。
     一つの蝶が西から来たと思うと、他の一つは東からやってくる。

   蝶七首 三
 蝴蝶春眠熟  蝴蝶春眠熟し
 夢迷花氣中  夢は迷う花気の中
 村邊初杏白  村邊初めて杏白く
 源裏正桃紅  源裏(桃源境)正に桃紅

(大意) 蝶の春眠が深いらしい。夢は花の香の中で迷っているのだあろう。
     村のあちこちで杏の花が白く、桃源郷よろしく桃は紅に咲いて春は将に闌だ。

  牡丹宿蝶 遺稿二    文政五年(1822) 75歳
 牡丹将欲歛  牡丹 将に歛を欲し
 一蝶尚依依  一蝶 尚依依たり
 恐被花包裹  恐るるは 花が包裹を被るを
 通宵不徳歸  通宵 歸るを得ず

(大意) 牡丹の花は将にその盛りを過ぎ萎れようとしている。
     それなのに一匹の蝶は、牡丹に名残を惜しむように飛んでいる。
     私が恐れるのは牡丹の花が閉じて蝶を包んで、夜通し家に帰れなくなってしまうことだ。


   螢七首 一 (後編巻七)    文化十三年 69歳 *屏風には書かれていない
 満渓螢火亂黄昏  満渓の螢火 黄昏に亂る

 透竹穿藤各競光  竹に透かし藤を穿ちて
              各々光を競う
 吟歩不愁還入夜  吟歩して愁えず 
              還(又)夜に入るを
 借将餘照渡山梁  餘照を借りて 
              将(以)て山梁を渡る
  茶山ポエム(現代語訳) 中山 善照
たそがれの 谷間いっぱいホタルが飛んで
乱れて飛んで岸辺も草も ホタル火飾り
笹の葉透かしてピカピカ光る 
藤の葉とおしてピカピカ光る
歌をうたって山道歩こう 暗くなっても心配ないよ ホタルの光で帰れるさ 谷間にかかった細い橋 ホタルの光で渡れるさ

(大意) 黄昏の頃になると、谷一杯にホタルが乱舞する。竹の葉に透きとおり、藤の葉をくぐり抜けて
     それぞれ光を競っている。詩を吟じながら散歩して夜に入っても心配はいらない。
     ホタルの明かりを借りて、谷川の橋を渡ればいいのだから。

   螢七首 
 連夜収來満練嚢  連夜収め來って練嚢に満つ
 柳陰懸照納涼牀  柳陰懸けて照らす納涼の牀(涼み台)
 童言螢火亦眞火  童は言う螢火も亦眞火と
 揺扇將然加手陽  扇を揺がせば 然(燃)えんとし手を加えれば陽(暖)しと

(大意) 毎夜蛍を捕えて来て、練絹の蛍籠へ一杯だ。柳の木に懸けて涼み台を照らす。
     童は蛍の火もまた本物の火だという。扇で仰ぐと燃えるし、手を添えれば暖かいと。

   螢七首 
 荘叟蝶夢狂空在  荘叟が蝶夢狂 空しく在り
 齊后蝉聲怨漫長  齊(王の)后の蝉聲 怨漫(濫)りに長し
 憐爾草根陳腐後  憐れむ爾(汝)草根陳腐の後
 尚能変化発輝光  尚能く変化して輝光を発す

(大意) 荘子が蝶になった夢を見たとは狂気の沙汰、齊后が蝉に成り変わっていつまでも恨みがましく
     鳴いているというのもいただきかねる。
     それに比べれば、螢、お前は草根が腐って後、変化して生まれたといわれるが、それでいて
     美しい光を発するのは何と愛らしいではないか
 
 
 2020-no5

菅茶山会報第30号発刊に寄せて

おかげさまで30号の節目を迎えました
 

 「菅茶山顕彰会会報」は昭和62年(1987)、「茶山先生にまつわる情報の交流」を目指し創刊、概ね毎年3月1日発刊(平成7年(1995)休刊)、本年で而立の年、第30号の節目を迎えることができました。
これ偏に「菅茶山遺芳顕彰会」(初代会長高橋令之 会員230名)発足以来の会員諸子ならびに関係各位の格段のご理解とご協力の賜物と衷心より感謝申しあげます。

 さて、今年度の会報は例年になく多くの皆様から目線を変えた玉稿をお寄せいただきこと先ず以て厚く御礼申し上げます。と同時に、編集者としては、誠に嬉しい悲鳴ながら、限られた紙面上、折角の論稿を割愛、若しくは一部、HPに転載のやむなきに至りましたこと、悪しからずご宥恕の程お願い申し上げます。

 本号は鵜野会長が、新元号「令和」について所感を述べた後、本誌第25号で老朽化を愁訴、「守る会」結成に繋げた「廉塾ならびに菅茶山旧宅」修理保存活用計画が愈々始動する節目の年、その概要の報告を公表しています。

 次いで、寄稿文、「菅茶山と乗如上人(寶泉寺)」有言実行の本会常務理事黒瀬道隆氏、「『東遊漫録』(賴山陽)を携えて神辺界隈へ」東京在住の研究者塚本照美氏、安芸宮島厳島神社と同格と云いながら、「廉塾ならびに菅茶山旧宅」の知名度が今一気懸かりな、国語教師藤田修司氏、新理事高橋洋典・松岡明美両氏、茶山ポエム絵画で一躍脚光を浴びた神辺美術協会山下英一氏の力作が登場します。

 本会の年間活動報告「顕彰会だより」は、恒例の「定期総会」、「墓参の集い」、本年度から内容を参加・体験型に改善した「茶山学習会」、加えて当該プロジェクト担当安原美津代理事が「車中で楽しくて眠る暇もなかった」と大好評の研修旅行「備中旅行」紀行が続きます。

 締めくくりは歴史と文化の故郷かんなべを彩る「黄葉だより」は二部構成、第一部、劈頭に菅茶山記念館主催「茶山ポエムハイク」(神辺城趾・城下町編)、情報誌第280号発刊に漕ぎ着けた堂々川ホタル同好会の「砂留、ホタル、彼岸花の四季」(土肥徳之会長)、「廉塾ふれ愛ボランティア絆の会」(鵜野謙二会長)、「ニコピン先生131歳生誕祭」(重政義宣会長)、錦秋神辺宿鈴なりのイベントetc。
第二部は「神辺特区2019文化フォーラム」(主宰福山大学人間文化学部)&2018年、県博近世文化展示室創始以来の「続 国重文『菅茶山関係資料』見学記」など満載。掉尾を「2019年度茶山ポエム絵画展」で結んでおります。ご高覧の上、今後とも宜しくご指導とご協力を賜りますようお願い申しあげます。

 なお、一昨年度、このHP「菅茶山新報」(担当藤田副会長)がリニューアルオープンしました。会報の電子版(PDF&WORD)のほか、会報頁数超えで記載できなかった記事や写真などもHPに掲載しております。
書籍版が限定出版の関係上、入手できない場合は、どうぞスマホからも可能なこのHPにお立ち寄りいただき下さい。
また、好きだけれど書くのが恐い思いの素人の手作り故、諸所、お気づきの点がございましたら、あなたと私たちで共有、洗練する、よりよい『菅茶山全書』を次世代へバトンタッチするため、メールinfo@chazan.click
や郵送などで率直なご斧正を賜りますようお願い申し上げます。

 
 関連記事:顕彰会ニュースno181号
 
 2020-no4

菅茶山と梅花をテーマに

第4回菅茶山顕彰会学習会
 
 

 222日、廉塾近くの七日市上集会所で令和元年度掉尾を飾る第4回菅茶山顕彰会学習会。
生憎の雨で足許の悪い中にも拘わらず出席者
25名。雨で予定されていた西福院行を中止する代わりに正面に活けられた梅花が出席者の心を和ませてくれた。「菅茶山と梅花」をテーマに学んだ。

 先ず安原美津代座長が鵜野会長の唱導する参加・体験型のプロジェクト。「気楽に楽しく過ごしてほしい」と開会のあいさつ。
今回の講師鵜野会長が予め用意された資料の添っての卓話。永年のボランテイアガイドの所産だと語られる年号や数字の正確さに感服する。(以下、要旨。文責 編集子)

・茶山と梅 茶山の梅癖と云われるほど、梅が好きで、梅に縁がある。誕生日が22日。菅家の家紋が梅鉢。江戸文政期の大学頭(現文部化学大臣)林述齊が老中首座(現内閣総理大臣)松平定信に「詩文は茶山」と褒め讃えるほどの漢詩人。ベストセラーの著書「黄葉夕陽村舎詩集」(前・後編・遺稿3巻、2413首)にも、梅を詠んだ詩が多い。

①新元号「令和」と万葉集

 新元号「令和」は「万葉集」巻五「梅花の歌三十二首」の序文「初春の月にして、気淑く風ぎ・・・」に由来するとされ、歌人大伴旅人の邸宅で催された宴で詠まれた「梅花の宴」の一場面のようであるとされる。
詳悉はマスコミなどで普遍化しているし、HP「菅茶山新報」にもアップロードするので、ここでは割愛する。(参考:万葉集には梅を詠んだ歌が総数百十九首がある。)

intermission
 出席の三方が詩吟朗詠 元号「令和」  錦城流 嶋田時市氏、鵜野謙二氏、武田恂治氏

②一枝の梅が結ぶ縁

・茶山、松平定信侯in浴恩園(築地)招待

 文化11年、茶山67歳は文化元年に次いで、二度目の江戸出府。初の異郷での越年、帰郷を目前にした文化1225日、茶山は松平定信侯に下屋敷・浴恩園(築地)へ招待された。
この日、生憎の雨模様であったが、夕方には晴れ間も覗きはじめた。松平侯は手ずから庭の梅の一枝を折り「梅の色香は浅いけれど、遠く故郷を後にしている寂しさを慰めよ」と和歌に添えて茶山に与えた。
これに対して、茶山は「江戸の町は雪が消えても未だ花だよりには遠いのに、有難い詠歌を頂き、天下の名園は春のように温かい」と漢詩で応えた。


・手折の梅神辺に来る

 この梅は接ぎ木され、文政元年43日、茶山が「大和行日記」の旅の途上、江戸から故郷倉敷に帰る小野小佐衛門によって届けられるが、最終的に廉塾に届いたのは、文政4年正月と日記に書き留められている。

intermission  出席者全員で梅二題を斉読

 「画山水」(原詩)「渓村三五戸 一向絶風塵 自種梅花後 春來引外人」

 「西福寺賞梅」「品茶琢句坐斜陽 閑事偏知春日長 暮鳥還棲驚有客 梅花花底小僧坊」


・冊子「茶山と梅・西福寺」(資料)黒瀬道隆氏 解説

 お馴染みの自ら納得が行くまで調査研究整理された資料に基づいての明快で弁舌さわやかユーモアーたっぷりの補足説明に我知らず引き込まれる。

①茶山と梅

・家紋「梅鉢」縁起

 茶山の先祖は福島氏改易で浪人となったが、島原の乱などで海運による武器・酒の商売で、高利を得る。これ偏に、菅公の恩徳であると姓を菅波、梅鉢紋とした。

・観梅

 初対面の西山拙齋と三原西野の梅林に出かけたのを初め、訪れた文人や弟子などを伴い、郷分榮谷、加茂大林寺、神辺丁谷など屢々、観梅に出かけている。

・梅を詠んだ詩

 「梅花七首」など


②西福寺

・縁起 寺は元々城の鬼門鎮護の役目を担っていたため神辺から福山城築城時にも、移築されている。
西福寺は文化
4年、神辺大火によって焼失したが、九世寂如上人によって復興されたとされている。湯田村寶泉寺の末寺で、住職も寶泉寺から西福寺へ赴いている。


③茶山と西福寺

・廉塾と西福寺はいわば近隣同志、「菅茶山略年表」などからも、茶山が度々訪れていることが判る。

intermission

 西福寺墓地には、小早川文吾が眠っている。昭和29年、重政雄黄山記并書の墓碑が建立された。重政翁は茶山の道統を継ぐ唯一の郷土史研究家で、「茶山詩五百首」~黄葉夕陽村舎詩抄解~(島谷真三・北川勇共著 昭和50年)の解読の秘庫を拓かれた人である。

小早川文吾は茶山の弟子で号は楽々齋。賴山陽、藤井募庵、門田朴齋らと交友があった。父から引き継いだ医業の傍ら、私塾を開き近隣の子弟の教育に当り、失明後も続け、明治13年、90歳で歿した。
絵画、詩。書とも能くしたが、作字学(合成文字)に通じ、天別豊姫神社境内狛犬裏や下竹田常夜灯にその作字が石彫されている。かんむり「國」の下に「水・石・火」を並列している。「我が國はまことに立派な国柄だ」という意味だと伝えられている。
七日市通り現「天寶一」辺りに居宅があった。最近、案内の標柱が石製に建て変えられた。


アトラクション:「茶山クイズ」に挑戦
。いくつか紹介すると

 号 茶山

   「自宅の北方にある茶臼山からとった」と云われているが、神辺には複数の「茶臼山」が現存する。

10 茶山が福山藩主に命ぜられて作った地誌 「福山志料」。

   当時天領だった「中条」などは記載されていない。

15 肖像画に描かれていて茶山が好きだった木 柳。

   「菅茶山肖像画」(画人不明 岡本花亭賛)柳をバックにした70歳の風貌が描かれている。柳も好きで、茶山の随筆「筆のすさび」によれば、廉塾には三種の柳が植えてあったことが判る。伊澤蘭軒著「長崎紀行」や毛利侯の馬を繋ぎ止めた柳を詠んだ詩などが在りし日の情景を今に伝えている。  

17 旧神辺町の町木 楠

   町花 つばき 町鳥 目白 昭和63年制定

18 謚(おくりな)=死後に贈る名 「文恭先生」

 「道徳博聞曰文、敬事供上曰恭」

 「人の道を探求し、廣く知識を求め、目上の者を敬い、慎み深く皆に慕われた茶山の人柄を表している」(「菅茶山の世界」文恭先生喪儀 62㌻)

19 「廉塾ならびに茶山旧宅」は何史跡

昭和9

1934

・「廉塾ならびに菅茶山旧宅」が国史跡に指定される

昭和15

1940

・「菅茶山の墓」が広島県史跡に指定される

昭和28

1953

・「廉塾ならびに菅茶山旧宅」が国特別史跡に指定される

この旧宅以前の居宅は神辺大火によって焼失した

平成26

2014

・「菅茶山関係資料」(5359点)国重要文化財に指定される

メモ(会報第同(同193㌻)

*この「茶山クイズ」は
 菅茶山生誕260年祭(18.19/20)に行われたものです
 
 その時の実績
  ・クイズ応募総数 253人 

  ・全問回答者 
100人  
  ・正答率 
91㌫ 

 *関係記事:顕彰会ニュースno180
   

学習会資料の表紙
 
2020-no3

菅茶山記念館のあゆみとその活動について


神辺公民館歴史講座

 
 
 1月29日、神辺公民館で第5回歴史講座が開かれた。第1回から顔馴染みの30人が出席した。
講師は菅茶山記念館開館とほぼ同じ時代から同館勤務の矢田笑美子さんで、①菅茶山顕彰活動②所蔵資料③菅茶山記念館の活動について、講演がありました。

菅茶山顕彰活動のあゆみ

 元 号  西暦  記         事
 大正15年 1926   菅茶山歿100年祭 主催 深安郡北辰会
 (4月16日 於 神邊川北尋常高等小学校・西福寺、萬念寺、深安実業学校ほか)
 *従四位を贈られる
 昭和15年 1940  「菅茶山の墓」が広島県史跡に指定される。
 昭和25年 1950  「廉塾並びに菅茶山旧宅」が国特別史跡に指定される。
 昭和54年 1979  菅茶山歿150年祭 主催 神辺郷土史研究会 
 昭和61年 1986  菅茶山歿160年祭 主催 菅茶山歿160年祭実行委員会
 ・冊子 「北辰会編 菅茶山(大正15年発行)現代文改編版」 
 ・冊子 「備後・神辺 菅茶山詩碑(8基)案内」  
 ・テレカ 歴史と文化の町かんなべ 菅茶山と廉塾
 昭和62年 1987  菅茶山先生遺芳顕彰会発足 
 平成3年 1991  菅茶山歿165年祭 主催菅茶山先生遺芳顕彰会・神辺町文化連盟  
 ・冊子 「街道の文化 菅茶山165年祭」 
 平成4年 1992   菅茶山記念館開館 11月3日
 *「大和行日記」菅茶山著(覆刻版)菅茶山学習会 発刊
 *北川勇講演集録「茶山詩話」(第一集)菅茶山先生遺芳顕彰会 
   ~平成10年(1998)同(第七集)完結
 平成7年 1995  菅好雄氏から広島県立歴史博物館へ菅茶山関係全資料が寄贈された。
 平成10年 1998  菅茶山生誕250年祭 主催 菅茶山生誕250年祭実行委員会
 ・冊子 菅茶山 廉塾 漢詩「神邊驛」「冬夜讀書」
 ・菅茶山関連参考文献 菅茶山詩碑(9基)案内 菅茶山記念館
 ・一筆箋 備後国名勝箋
 ・菅茶山生誕250年記念官製葉書(挿絵 史跡碑、菅茶山と廉塾)
 平成15年 2003  菅茶山生誕255年祭 主催 菅茶山生誕250年祭実行委員会
 *菅茶山先生随筆 現代文訳注本「筆のすさび」菅茶山遺芳顕彰会 
 ・冊子 菅茶山 廉塾 漢詩「神邊驛」「冬夜讀書」「筆のすさび」
   「詩文について」「参考文献」
 ・記念絵葉書 廉塾 茶山墓地 神邊本陣 菅茶山記念館
 ・記念講演録集「神辺城の頃」佐藤昭嗣
 *「茶山の面影を訪ねて」(茶山詩碑図録)松岡正明著 
 平成20年 2008  菅茶山生誕260年祭 主催 菅茶山生誕260年祭実行委員会
 ・記念講演録集「若き日の茶山詩について」西原千代氏
 ・冊子 菅茶山顕彰の歩みー菊薫るかぎり茶山の文化ありー(陶子)
 ・冊子 菅茶山 廉塾と茶山旧宅 養魚池 筆洗い場 竹縁と手水鉢
      菅茶山墓碑 菅茶山の顕彰 菅茶山略年表 
 ・愛唱歌 わが茶山先生
 平成25年 2013  菅茶山生誕265年祭 主催 菅茶山生誕265年祭実行委員会
 ・記念講演「神辺の歴史と文化~菅茶山の歩いた道~」杉原耕治氏
 平成26年 2014  「菅茶山関係資料」(5369点)国重要文化財に指定された
 平成30年 2018  菅茶山生誕270年祭 主催 菅茶山生誕270年祭実行委員会
 ・記念講演「地方時代の象徴・菅茶山」岡野将士氏
 *「菅茶山顕彰会会報 復刻版」
 ・記念品「ティーマット」
 ・朗読劇「梅花の契り」上演

 *広島県立歴史博物館に「近世文化展示室菅茶山関係資料常設展示室が新設される。
 
2020-no2  

高校生観光ボランティアガイド誕生

本陣観光ボランティアガイドで社会参加
 

 「中国新聞」「読売新聞」(1月12付)にて、地元県立神辺高校生3年 渡辺亮輔さん、渡辺泰生ら4人の神辺本陣観光ボランティアガイドが誕生したと報じた。

 神辺本陣当主菅波真吾さんから、本陣や廉塾など神辺の素晴らしい寶物に地元の関心が薄いことを聞き、悔しい思いを抱き、案内用のマニュアルを作成、この日から毎月1回のペースで、卒業後もガイドを努めることにした。
大学生ガイドは過去3人デビューしたが、高校生は初めての御目見得となる。

今年度総括年を迎えた神辺学区まちづくり委員会・神辺宿文化研主催「歴史文化を活かした町づくり」事業のサプライズ所産か。Bon Voyage ! を祈ってやまない。

*神辺町観光協会観光ボランティアガイド(学生部門)
 初代 大土井温子さん 福山市立大学
 2代
 3代 稲垣雄哉さん  福山大学
 4代 渡世理彩さん  岡山大学 
 
2020-no1

井原鉄道開業21周年感謝デー

廉塾会場では餅入りぜんざいのおもてなし
 

 平成11年1月11日に開業した井原線は、このたび21周年を迎えました。
これを記念して1月12日(日)は、感謝デーが開催されました。

当日は「ワンコイン(大人500円)で井原線全区間(総社~神辺間)が始発から最終列車まで終日乗り放題」となり、主要駅では、ご来場いただいた方へのおもてなしや、新鮮野菜・手作り加工品などの販売、各種イベントが開催されました。

<神辺駅>では、廉塾を会場にして、「ふれ愛ボランティア絆の会」(鵜野謙二会長)が、餅入りぜんざい、廉塾の庭で収穫した大根の漬け物で、おもてなしをしました。

 神辺駅前で名所案内

 ぜんざい提供