no21 〜no1 |
⇒顕彰会ニュース |
⇒no55〜22 | |
菅茶山生誕255年祭 | No.21 | |||
錦秋の一日盛大に挙行される |
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菅茶山遺芳顕彰会 2003年10月18日 | ||||
「いま煌く茶山と歴史街道神辺宿」のテーマで菅茶山生誕255年が盛大に挙行されました。 神辺町文化会館で行われた記念式典では祭文奉読、茶山詩吟詠、講話の後第2部では地域で音楽活動を続けている奥野純子さんの声楽や地元小学生やコーラスグループによる合唱など、いずれも現代語訳した茶山詩に曲付けした歌唱を披露しました。 廉塾では講堂前の庭を開放し野点がふるまわれ、竹縁の名で有名な講堂濡れ縁には緋毛氈が敷かれ奏でる琴の響きが来訪者を魅了しました。 町筋では模擬店や旧跡探訪ラリー、茶山ポエム絵画展など、大人も子供も楽しめる華やかで多彩なイベントに町内外から訪れる人はひきもきらず、華やかな一日となりました。 |
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神辺小学校5年生全員の合唱 「茶山ポエムの歌」 |
No.20 |
「菅茶山ゆかりの地…」 記念絵はがき 完成 |
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菅茶山遺芳顕彰会 2003年8月10日 | ||||||||||||||||||||||||
菅茶山遺芳顕彰会では今年が菅茶山生誕255年にあたることから記念事業の一環として「菅茶山ゆかりの地…」と題した絵はがきセットを作成し、このほど神辺来訪の皆様にお求めいただけるようになりました。 セットは、廉塾を中心に、茶山墓地、神辺本陣、菅茶山記念館を収めた7枚組です。
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顕彰のことばに添えて助成金を渡す河合典男理事長 |
No.19 |
義倉財団より助成 | |
ポエム絵画展の活動に | |
菅茶山遺芳顕彰会 2003年7月5日 | |
7月5日、財団法人義倉において助成金の贈呈式が行われ、河合典男理事長から高橋孝一会長、鵜野謙二理事に手渡されました。 今回の助成はポエム絵画展に対し教育部門の活動としての実績が認められたものです。 「義倉」は200年前、難民救済事業団として始まり、設立にあたっては菅茶山の働きがあったと記録されており、創立の精神は今日まで引き継がれ、地域の文化・教育活動の発展に大きな貢献を続けています。(ニュース No2 をご覧ください) |
写真クリックで案内板拡大 表通りから眺める廉塾、地元町内会の尽力で 菜園も整備されました |
No.18 |
廉塾説明案内板できる | |
菅波信道一代記より 「廉塾にて講釈の図」を掲載 |
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神辺町観光協会 2003年5月31日 | |
神辺町観光協会の尽力により廉塾の由来などを簡潔に表記し、当時の神辺本陣当主菅波信道が書き残した挿絵の入った説明案内板が設置されました。これまでボランティアによる解説がないとわからなかった廉塾の概要が一見してわかるようになりました。 これを設置した神辺町観光協会の高橋孝一会長(菅茶山顕彰会会長)は「懸案の説明板ができました。表通りからすぐに見えるので遠来の皆様にも喜んでいただけるでしょう」と話していました。 |
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No.17 |
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No.16 |
講演中の佐藤昭嗣先生 | 平成15年度定期総会開催される | |
生誕255年祭の態勢を確認 |
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記念講演「神辺城の頃」岡山商大助教授佐藤昭嗣氏 | ||
菅茶山遺芳顕彰会定期総会が4月19日、神辺町商工文化センターで開催され、茶山生誕255年祭とその関連事業などが提案、可決されました。 255年祭式典は10月18日(土)神辺町文化会館で行われ、図書「筆のすさび」絵葉書「菅茶山」が発行される予定です。 |
開会挨拶をする 高橋孝一会長 |
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岡山商科大学助教授佐藤昭嗣先生による「神辺城の頃」と題した記念講演は、中世の山城「神辺城」のふもとに展開した当時の町並みや地割がどんなものであったか、それがどのように変化しながら現在につながっているのかを考古学的に解明する、謎解きにも似た興味深い話でした。 |
No.15 |
菅茶山記念館の前庭に植樹する 顕彰会役員 |
楷樹(かいのき)を植樹 |
菅茶山記念館の前庭と廉塾菜園に 菅茶山遺芳顕彰会が寄贈 |
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2003年4月14日 | |
楷(かい)の木は学名「とねりばはぜのき」と呼ばれるうるし科の植物で秋の燃えるような紅葉は見事です。枝 や葉が整然としているので「楷書」(かいしょ)の語源となったとも伝えられ中国では孔子の墓所に植えられるなど、古来より孔子とは切り離すことのできない 名木として珍重されてきた歴史があります。 日本には大正初期に中国から移入され、湯島聖堂など儒学に関係深い場所に植えられました。西日本では岡山の「閑谷黌」(しずたにこう)の巨木が有名です。 今回の植樹は菅茶山と交友の深かった四国の柴野栗山(しばのりつざん)を顕彰する「栗山顕彰会」を交流訪問したことが縁となって、当顕彰会常務理事 松浦正明氏(写真右)が四国から苗木を入手、菅茶山を顕彰するにふさわしい場所に植えたものです。 |
初公開の中庭で行われたオープニングセレモニー |
No.13 |
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「神辺本陣 動く夢シアタ」 | ||
音楽と文化のイベント盛会の10日間 | ||
菅茶山遺芳顕彰会 2002年10月30日 | ||
江戸時代に参勤交代の大名が泊まった神辺本陣を開放して10日間、昼夜にわたる日替わりプログラムが菅茶山遺芳顕彰会の主催行事として繰りひろげられました。 勇壮な和太鼓の演奏で幕を開け、多くの歴史ファンが訪れました。 日ごろは見ることのできない藩主の寝所や居所が公開され、顕彰会のボランティアの解説に遠来の訪問者が熱心に耳を傾け、夜は燭台のほのかな光の中で文化講演会が行われ、聴衆を魅了しました。 |
来訪者に寝所の解説をする今西副会長 |
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幻想的な光の中で聴衆は魅了される |
No.12 | |
「廉塾がこんなに賑わった のは初めてじゃ!!」 |
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廉塾ポエムまつり さわやかな秋晴れの下で盛り上がる |
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菅茶山遺芳顕彰会 2002年10月14日 | |
子どもたちが茶山にしたしみ、詩のイメージを絵に描きあらわす「茶山ポエム絵画」の活動が今年で10年を迎えました。 これを記念して地元、神辺七日市町内会や子ども育成会の協力を得て「廉塾ポエム祭り」が盛大におこなわれました。 |
広場正面のステージでは神辺町少年少女合唱団が「茶山ポエムの歌」を初披露ましした。 旧山陽道であった町並み周辺では小学6年生が説明役をつとめる「史跡ウォークラリー」が行われ、日ごろ知ることの出来ないふるさとの歴史を感じとったようでした。 地元のお年寄りは「廉塾がこんなに賑わったのは初めてじゃ」と笑顔で話していました。 |
菅茶山記念館で取材中の大西教授 |
No.11 |
地域ぐるみの古典鑑賞教育を実践 | |
「茶山ポエム絵画展」の活動を学会誌に発表 安田女子大学 大西道雄 教授 |
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安田女子大学 日本文学科 大西道雄教授が「茶山ポエム絵画展」の教育的な価値に関心を寄せられ、菅茶山記念館などで取材、日本国語学会の機関紙である「月刊国語教育研究」No363号に「〜茶山ポエム絵画と地方国語教育実践と〜」と題して発表されました。 その要旨は「菅茶山遺芳顕彰会の活動の一環として茶山詩を地域の子どもたちに伝えるため、詩によって喚起されたイメージを絵画化させる運動が展開されている。地域の学校では図工や美術の授業や総合的な学習の時間に位置づけるなど取り組まれており、地域ぐるみの古典鑑賞教育の実践ともいえる…」などと高く評価されています。 大西教授は「コミュニケーション作文の技術と指導」(明治図書)など多くの専門書を著作されており、また、「月刊国語教育研究」は書店販売はされていませんが、幼稚園から大学まで、国語教育に携わる教職員の専門誌として広く活用されています。 |
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No.10 | |
熊野筆「菅茶山」できる 神辺訪問の記念にお求め下さい |
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広島県熊野町は全国の筆生産の9割を数える産地で「熊野筆」として有名です。 菅茶山遺芳顕彰会では「菅茶山」と銘した熊野筆3本組セットをつくりました。神辺訪問の記念グッズとしてご利用ください。
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No.9 |
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廉塾解説ボランティア 訪問の皆様へ廉塾の説明をしています |
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廉塾案内所へお立ち寄り下さい | ||||
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No.8 |
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町並みを彩る風物詩 春の かんなべ町並み格子戸展 |
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5月連休中に開催 | ||
平成11年の井原鉄道開通以来、大勢の観光客が神辺を訪れています。これまで神辺本陣は一般公開されていませんでしたが、今は菅波家当主のご好意により無料公開されています。(月曜日を除く) 神辺本陣を訪問される皆様方に、菅茶山遺芳顕彰会の役員有志が解説ボランティアをしています。 ボランティアが見当たらないときには本陣正面向かいの「神原電機商会」に気軽に声をかけてください。 格子戸展は春と秋の連休中に開催しています。 |
No.7 |
新作能「鞆のむろの木」によせて 平成14年度 定期総会で記念講演 |
国立能楽堂での公演ポスター |
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菅茶山遺芳顕彰会 2002年4月13日 | ||
茶山顕彰会定期総会が神辺商工文化センターで開催され各議案が可決されました。 総会の後、能楽師シテ方喜多流 福山喜多会の大島泰子さんの「能<鞆のむろの木>について」と題して 記念講演が行われました。 この新作能は、美しい瀬戸内、備後鞆の浦を訪れた菅茶山の夢枕に万葉の歌人大伴旅人が現れ、亡き妻への追慕の念を切々と語る、幽玄夢想の世界を描いたという解説に一同深い感銘を受けました。 6月15日東京「国立能楽堂」で初演されました。 |
No.6 | |
茶山詩碑「農功」建立 猫児山眺望に由来の詩、松浦邸前庭に |
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菅茶山遺芳顕彰会 2002年4月 | |
茶山詩碑「農功」が本会常務理事の松浦正明氏宅前庭に建立されました。 この詩は「田植え時、なみなみと水を張った田んぼ越しに猫児山(現在の王子山)を見渡す」風景を詠んだもので、茶山が眺めたであろう場所をこのあたりと想定したものです。 碑は自然石の前面に角度をつけた二面づくりになっていますが、二つの面の角度が書面を拡げたような興味深い効果を出しています。 この詩について「茶山詩話 第3集」35ページ「夏」の章に詳しく解説されています。 |
神辺本陣について解説する神原昭三理事 |
No.5 |
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神辺本陣で解説 ボランティア 本陣は入場無料、解説ガイドも無料です |
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菅茶山遺芳顕彰会 2002年4月 | ||
平成11年の井原鉄道開通以来、大勢の観光客が神辺を訪れています。これまで神辺本陣は一般公開されていませんでしたが、今は菅波家当主のご好意により無料公開されています。(月曜日を除く) 神辺本陣を訪問される皆様方に、菅茶山遺芳顕彰会の役員有志が解説ボランティアをしています。 ボランティアが見当たらないときには本陣正面向かいの「神原電機商会」に気軽に声をかけてください。 |
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No.3 |
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神辺本陣伝来「黒本尊阿弥陀仏」 一般公開される |
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菅茶山遺芳顕彰会 2001年11月10日 | |||||
四百年菅茶前の神辺城主福島丹波の念持仏「黒本尊阿弥陀如来」が神辺本陣、菅波家に伝来しています。今年は33年ごとのご開帳法要にあたり、11月10日、11日の両日、山遺芳顕彰会のお世話により一般公開されました。
両日とも好天にめぐまれ、町内外から大勢の参観者がつめかけました。 公開に際しては当顕彰会の役員が案内や解説に当たり、また菅波家の菩提寺の万念寺において「備後地方南部の仏像について」と題して徳島文理大学浜田宣先生を講師に記念講演が行なわれ会場いっぱいの聴衆が熱心に聞入りました。 黒本尊阿弥陀仏の由来 「モト紅葉山場内ニアリシヲ、福島丹波退去ノ時ソノ聟ナル畠山氏(菅波家の祖)ニユズル」 (菅茶山編著 福山資料より抜きがき) |
石碑の移設作業を見守る高橋会長(右側) |
No.2 |
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義倉田石碑の移設なる | ||
菅茶山遺芳顕彰会 高橋孝一会長 2001年7月 | ||
地域の教育・文化振興助成で知られている財団法人「義倉」は今から200年ほど前の文化元年、千田村庄屋・河相周兵衛によって難民救済事業団として始まった。その発足については菅茶山の大きな働きがあったことが記されている。その救済の原資を得るために買い求めた最初の土地が深津郡中津原村(現福山市御幸町中津原)の約1町歩あまりであった。その後、芦田川改修工事や農地改革によって、その土地はすべて手放され、当時建てられた「義倉田・文久八年」と刻んだ石碑も近年の道路改修によって片隅に放置される様相になった。このたび、地元の理解と協力により、義倉財団の邸内に移設されました。 |
No.1 |
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茶山ポエム七夕祭り | ||
菅茶山遺芳顕彰会 2001年8月 | ||
神辺町内の三日市・七日市・十日市通りのベンガラ格子戸の残る43軒の軒先をお借りし、恒例となった「茶山ポエム絵画かんなべ格子戸展」に加えて七夕祭りを行ないました。 これは、鳥取県佐治天文台の香西洋樹さんが1999年に発見された小惑星に「菅茶山」と名付けられたことを記念して企画した行事です。 竹笹の短冊は町内6小学校の児童たちが「茶山の星」に夢と希望とロマンを託して架けました。 |
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